観た!

観客。

「人形たち展」

於 渋谷東急本店

参加作家: 秋野端歩 / 石渡いくよ / 宇野亜喜良 / 小畑すみれ / 佐伯裕子 / 高橋操 / 中橋和代 / Naruto / 野村直子 / 早川淳子 / 日吉節子 / 水澄美恵子 /宮崎美恵



宇野亜喜良の立体を見るのは初めてかもしれない。少なくとも、意識して見るのは。絵画の方は何度か展示会を見たことがあるし、手持ちの文庫の表紙でおなじみである。
立体いいな。
絵画と同系のアイディアの作品なのだが。新鮮なせいだろうか。「質感」と、小さいながら立体の持つ「量感」がいいのかもしれない。
水槽か画面のような「箱」の中の水中の人魚と魚。人魚の上半身はおなじみの宇野顔で、ああ、そうか、鼻が立体のせいなのかな、凛としている。魚の下半身は銀のメタリックな輝き。この顔と、この質感の組み合わせが、komugiko00にはツボであった。


高橋操の作品はあいかわらず大きい。
自分も見る人もほっとするような作品を作りたい、というような本人の弁。お察しかもしれないが、komugiko00、下手にこんなこといわれると「けっ」っていうタイプである。でもその言葉のサイズよりも作品のサイズのほうが大きいのだ。何センチ、って意味じゃなくて。
クリスマスツリー型のフェルト服を着て立っている人物もそう。この存在感だから「あり」なアイディアだと思う。
今回の展示では、4匹(?)の赤トンボがkomugiko00的ヒット。ちょうど手で握れるぐらいの大きさじゃないかな。子どもの顔に赤い服と帽子、背中にトンボの羽。両手を脇につけての蹴伸びのような体勢で、「飛んで」いる。ま、実際には銅の細い棒が支えているわけだが、そのジグザグが、姿勢が、「浮いて」「飛んで」いる空間を見せるのだ。夕焼けも見えるよ。



中橋和代の人形は前から知っているが、作品の「世界」にあまり関心がないのでいままであまりなんとも思わなかったのだが、今回はいいなと感じた。展示の条件やこちらのコンディションのせいかもしれないが。
「昭和」の子どもたちの遊びやお手伝いの日常を描いた人形たち。懐かしい板塀の前にそれが何体も並び、一つの「風景」を作っている。
その表情が……顔よりも体と動きの表情が、際立って見えた。
同行の人が、展示台が黒い布で統一されているため、華やかな色彩のほかの作家はいいが、中橋は黒っぽい服装が多いのでもったいない、と言っていた。んー、確かに土や砂ような色だと。もっと生きたかもしれない。でも、komugiko00には十分だったけど。


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帰りは同行の人たちと、ウエッジウッドのティールームでお茶をしていく。
komugiko00、飲んだことのない名前の紅茶を注文したら、「このお茶は以前召し上がったことがおありですか?」と聞かれた。「いいえ」「今葉をお持ちします」
お持ちして、蓋を開けてくれた。なるほど! すごい強い香りだ。
「これでよろしいでしょうか」「これをお願いします」
ポットに入ってくる。湯気からも香りが注ぐとさらに際立つ。
子どもの頃に夏をすごした、祖父の山荘のにおいがする。
山荘のベランダの前には大きな松が数本立っていた(それで台風をしのいだことも)。松の葉は土に落ちて、他の葉の香りと混ざって山の露を含みつつ、とりわけ潔い匂いがした。
台所の裏庭に竈が作ってあって、ご飯は薪で炊いた。その香りもする。
松と、広葉樹と、露と、薪の煙。
飲むと口から鼻から喉からそれでいっぱいになる。現実の山荘ではこんなに強い香りはしなかったが。人間の持つ記憶の強さには対抗できるかもしれない。

気に入ったので買って帰ろうと思ったが、販売はしていなかった。
……肝心の名前を、忘れました。