第43回 日展
何年振りか、じつに久しぶりに日展に行ってきた。
知人が数人出展していて、うち一人から入場券をもらったので、行ってきた。
券をくれた人は工芸なので、まずそこから見る。
ほうほう、なるほど。白一色の中にやはり白の和紙のテクスチャーが素敵だ。
工芸は、手法も発想も様々で、見ていて楽しい。
小学生のころは、毎年日展を見ていた。父の友人が洋画に毎年出していて、毎年券をくれたからだ。
絵の好きな子だったから、洋画を中心に一生懸命見た。
今思うと、あんなに一枚ずつ一生懸命見る必要はないのだが……だって、日展って、うまい絵とぜんぜんなのと混交でしょ、と今は素人のくせに生意気なことを言うが(^^;、見た。
まあ、そのころにすごい勢いで見ていたおかげで、現在絵に張り付いて技巧を確認するなんていう無粋な見方をしない、良き素人の「観客」になったのかもしれない。(そういう見方は、実際にそういう描き方をしたい人だけでいいんだよ)。
そんなわけで、子どものころは工芸に回るころには疲れていたし、たぶん、あの抽象性がまだ理解できなかったのだろう、たいてい飽きていた。それとも当時の工芸は、今ほどキャッチーでなかったのかもしれない。
そう、キャッチー。工芸は日展のジャンルの中で、一番「外連」があると思った。
形といい、色といい、素材といい、けっこうさまざまである。
まあ、「工芸」というのが大きなくくりで、その中の小さいジャンル分けはしないで混在させているからこそのおもしろさなのかもしれないが。
冷静に考えると、その小さいジャンルではわりと傾向が決まっていたかもしれない。
それでもあの抽象性がわりとkomugiko00にとっては「楽」である。
まあ、ともかくそういうわけで工芸は楽しかった。
次に彫刻を見た。
彫刻の会場に入ると、なんというか、安心感と言うか懐かしさと言うかがあった。
ああ、ここ、と思う。
たぶん、幼少時の体験のせいなのだが。
ほとんど毎週のように、休日には井の頭公園に連れていかれていた。
井の頭には、北村西望のアトリエと彫刻館があって、なぜかこの彫刻館が大好きで、かならず「行こう」と言ったものだ。
自然文化園の林の奥、ちょっと異世界ではあった。
当時は、絵は好きだったが、立体への興味はまったく自覚していなかった。
ただ、青銅の人間と、木立と、建物が醸す、なんというか静寂な結界があって、それがなんだか「スリルがある」気がしたのだ。毎週行くのに想像力を掻き立てられ、どきどきできたのだ。
公園の中でも彫刻館はたいてい空いていて、人がいても静かにしているから、異質な空間だったことはたしかだが。
それで彫刻の前で同じポーズをして写真を撮ってもらったりという子供らしいこともしつつ、毎週毎週同じ彫刻群を見ていたのである。
たぶんそのせいで、彫刻が並んでいる場所は、なんか原風景っぽい。
なんてことを思い出しながら、彫刻の間を歩く。落ち着く〜、この感じ。
でも……おんなじような立ちポーズがいくつもあって、こんなのばっかり作っておもしろいのかなー、と思っちゃったのも正直なところ。もちろん、似たようなポーズに見えて内側の何かがにじみ出ているものもあるし、まったく他と違う発想のものもあったりするんだけどね。
わが北村西望は日展の会長でもあったのだが、彼にはロダンぶりっこのドラマチックな外連がある。
ドラマチックで、なおかつ「静謐」なんだよ。
西望の彫刻館を毎週見られるところに住んでいたのはたまたまだが、たまたま、私の好きな作家でもあったと思う。
今回の展示では、二つぐらい、今思い返して、よかったなあと思うのがある。男性像一つ、女性像一つ。いずれも写実的な人物像だが、うーん、komugiko00的に反応する「空気」があったとだけ書いておこうか。
それから日本画と書を見た。
日本画では、ご無沙汰してる知人の絵を見て、おかわりないらしい、と思った。
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