観た!

観客。

THE MANZAI 2011

THE MANZAI


またしても開始時間を忘れていて、途中から見てしまった。
まあ、いまどきYOUTUBE探せばいいのだが。後で見るね。
2700もいたなあ、「あれ漫才か?」と思ったけど見たかった(shinbashi曰く、「漫才だよ、コトバだから」。うーん)。そのほかいろいろ見たかったコンビがっ(時間覚えましょう)。

で、みんなおもしろかった。
決勝の四分の三がM−1での実力者だったように、「結成十年以内」の枠がない分こなれていた、というのもあるだろう。


もう一つは、会場の雰囲気づくりのために、演者がそれなりにリラックスして――もちろんすごく緊張していると思うが、ネタ本来のおもしろさを圧迫するような「無駄な緊張」がなかったように見えた。
まあ、M−1の持っていたシビアな緊張感はそれはそれでよかったのだが(特に初期は)。


今回、司会がナイナイだったとき、でも「THE MANZAI」というタイトルなら爆笑問題じゃない? と一瞬思った。
芸人が、ひとたびテレビで売れると「人気MC」となり、ネタをやらなくなっていく中、いつまでも「漫才師がMCやっている」ことを忘れないのが爆笑だ。
MCやりながらでもネタの形式をはさんでくるし、MCやっている番組で極力「ネタ祭り」的なものをやろうとする。
そういうのは彼らだけだ。(ダウンタウンもそういう面もあるけど、爆笑はコントとかほかの形式しないからね)。
まあ、田中がいないと生きていけない太田の特性もありつつ(^^; だろうけど、いい意味で「漫才へのコダワリ」を体現している。
そういう意味では、彼らだけが全国放送で「THE MANZAISHI」なのだ。「ザ」なのだ。


ナイナイはごく早いうちにバラエティで売れたから、「漫才師」としての印象はない。


それで、爆笑だろう、と最初は思った。最初は。
でも、ナイナイでよいのだなと。彼らだからバランスがとれる。ニュートラルな感じになれる。視聴者もバラエティの気楽な感じで見られる。だから、出場者のネタの方が主役になる。


と思った。
ふたを開けると、たけしが別の局に移動した後、爆笑が出ていた。
彼らが、他人のネタを見ているときが好きだなあ。ネタ祭りなどでもそうなのだが、本当に漫才が好きなんだ、見ているのが楽しいんだ、という気がする。
彼らは自分たちのスタイルを確立しているし、自分たちの事務所を作ってしまっているし、こう、体制の中で他人を「評価する」という視線がないんだよね。純粋に漫才好きの漫才師でいられる環境だと思う。


そのへん、もはや漫才師ではなくなっているが、たけしと共通していると思う。
なるほど、たけしの抜けたところは彼らが埋めるのか、うまいな、と思った。
まあ、吉本独裁のカラーを薄めるためともとれるけど(^^;

あ、そうか、ナイナイと爆笑に共通しているのは、「子分を作らない」ところだな(ここはたけしはちがうね)。
それがニュートラルな感じの根源か。


あ、それで「爆笑問題」でなく「爆チュー問題」にしたところで、毒抜きをして、ナイナイと並ぶMCクラスではなく、別物……漫才の妖精(?!)みたいな位置づけになっていたかと。


審査員も、吉本勢力は高須と木村、制作側の人間を出してきているのも、考えてるな、と思った。まあ、木村は芸人でもあるんだけど。


M−1との差別化、芸人にも視聴者にも「リラックス」を、というコンセプトがしっかりした番組作りだと思う。


と、「番組」のことばかり書いてしまったが。


いや、決勝もどれもおもしろかったと思う。
komugiko00は個人的にナイツが好き、土屋フェチなので贔屓目に見てしまうのだが、いいんじゃない、どこでも。


ナイツの某くだりで太田が大喜びしていたのが、komugiko00的には非常にウケた。


決勝以前にもおもしろいコンビもあったけど、あっちがいいとかいうより、見ていてふつうに楽しかった。
ネタ一つ一つ書くより、全体が楽しめた、というのが素直な感想。


優勝がパンクブーブーだったのは、「番組持たせる」ために仕組まれたことかなと思いつつも(やっぱ吉本枠ってことでしょう、という)、ぜんぜん無理ないと思うし。
あーなんか視聴者の投票(?)のは、ネタと突っ込みの「数」を特質とするナイツに有利なのはわかってるし。それだけが笑いじゃないし(漫才じゃないけどラーメンズバナナマンが好きなわれわれであれば、抑えといてドカーン、も好きなので)。