観た!

観客。

 「三人吉三」〜初シネマ歌舞伎

2016年11月、若い人に手をひかれ、「シネマ歌舞伎」というものを初めて観た。
結果を先に言うと、たいへんによかった。
歌舞伎とは別物の一ジャンルとして完成度高く楽しめた。


何年か前に「シネマ歌舞伎」というのを知ったのだが、「舞台より安く見られる」という文脈で認識したので、あまり魅力を感じなかった。安い分、生の空気感はないんじゃないかという印象だった。
今回観に行ったのは、舞台とシネマ歌舞伎両方にはまっている若年者(私が歌舞伎にはまり始めたぐらいの年齢)の「熱」が素敵だったのと、演目が、中村屋兄弟の「コクーン歌舞伎三人吉三」、舞台に行きたかったが行き損ねたものだったからだ。
歌舞伎の舞台の映像というと、私も何本かDVDを持っている、NHKなどのテレビ局によるもので、「舞台の記録」としての映像である。
シネマ歌舞伎はなるほど、そういう名前を付けるだけのことはある。あくまで舞台なのだけれども、映像として見せるために構成され撮影され音響が作られたもの。
舞台では見ることのできない角度、カメラの展開があった。
「歌舞伎の映像化」=記録的価値はあるが生の立体感が二次元になったもの。
シネマ歌舞伎」=映像という二次元の技術で三次元を表現したもの。
というところだろうか。


もちろん、生の舞台の空気を直接に動かしてくる「肌触り」はないが、それは映像表現の自体特質の一つであるから、大前提としての違いである。
私は、『三人吉三』は、普通の歌舞伎と、十八代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎と、今回のシネマ歌舞伎と、三種類観た。
普通の歌舞伎とコクーン歌舞伎は別物である。シネマ歌舞伎も別物である。
別個の表現手法であって、それぞれ全部顕ってよい。
ジャンルとしてのおもしろさを教えてもらった一夜だった。


一つ、演者は違うがコクーン歌舞伎を観たことがある人間ならではの体験もあるかもしれない。
3D映画を観る時に眼鏡をかける、あんな感じだ。
シネマ歌舞伎の映像を見ているのだが、スクリーンから座席までの空間に、シアターコクーンの空間が見えることがあった。
二つの別個の表現が重なるのである。舞台の空間の肌触りが、半透明に再現される。コクーンの客席に座っている感じがする。これはちょっと素敵だった。
たぶん、他の人も他の組み合わせで体験したことがあるのではないかと思う。


私は『BENT』の舞台を見た時、ポーランドで訪れたアウシュビッツの風景が同じように三次元で重なってきた。その場に立っている感覚がするのである。
つまりシネマ歌舞伎は、完全に別物のジャンルとしても楽しめるが、二重メガネの立体映像効果ももっている、ということだ。
これはもちろん視覚的効果のことだけを言っているのではなく、臨場感、訴えてくるもの、すべてのことである。
もう一つの結論を言うと。
また行きたぁ〜い!(はあと)



生の舞台の立体感は、舞台なら無条件に出せるものではない。いい舞台なら味わえる、というもの。
「空気が動く」は、私は故中村勘三郎の若き日の舞台で初めて感じさせてもらったものであった。

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