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よろづ屋平四郎ファイナル〜「斬られ役」讃

先日、このブログを読んでくれている知人から、平四郎のことがいっぱいあると指摘された(これも読んでますかー?)。
そうねえ、あれだけ書いたんだから、最終回は書いとかないとかな。


平ちゃんを演じるスンシュケだが、最終回はちょっとだったなあ。こう、殺陣とか、強そうな動きはよかったけど、座ってセリフで凄みを出すところは、ぜんぜん軽くてだめでした。あれなら同じこと笑いながらへらへら言った方が逆に怖い。
凄まれている石丸謙二郎の方が、癖があってねちっこくて、こっちが「勝ち」っていう感じだった。まあ、出てくるおっさんたちがみんなそんなんなんだけど。


で。この流れなら、ずうっと気を持たせてきたあの剣士と決着をつけるのは必然。
komugiko00「あの大部屋の人ね」
shinbashi「もしくは『ハリウッドスター』」

あの人――検索すれば彼の名前はわかるだろうが、「大部屋俳優」に敬意を表して、敢えて名前は知らないでおこう――を初めて認識したのは、だいぶ前、テレビでやっていたドキュメンタリーをたまたま観た時だった。
ずっと、時代劇の「斬られ役」をやってきた大部屋俳優の話だった。大部屋には定年がある。その、定年を迎える人の、最後の斬られ役の日々を追ったドキュメンタリー。
もしかしたら、時代劇の熱心なファンなら知っている人だったのかもしれない。その後、彼の顔を覚えてからは、たまたま時代劇を見るたびに、「あ、あの人だ」「あ、ここにもいる」「化粧しているけど、もうずいぶん年取ってからだ」などと思うようになった。
その同じとしか、翌年だったと思うが、映画『赤影』で、彼が敵役に抜擢された。
そして、それについてのドキュメンタリーも観た。
彼は悪役だが、斬られない。納得がいかず、監督に「殺されたい」と交渉する。しかし監督は、「この話では、主人公は人を殺さない。そういうテーマの映画です」と説明する。「あの人」は、それならなんで私を呼んだのか、と嘆く。斬られ役一筋で来て、定年になって映画に呼ばれたのは、斬られ役の芸を買われてではなかったのか。
そしてせめて、最後に乱闘の中で気絶させられるところで、派手に壁に頭をぶつけて倒れた。ほんとうに脳震盪を起こした。
これを観て、若い監督の「甘さ」が、「あの人」に対して無礼だと思った。
映画観てないから、正当な評価はできないけどね。思った。
その後、『ラストサムライ』に彼は呼ばれる。この映画はテレビ放映をながらで見て、ちゃんと殺してもらったかどうかは未確認だが、その場面がないとしても、死んでいる役であることはまちがいない。


で、平四郎だ。
ちゃんと、最後に夜二人だけで渡り合う場面がある。
二人が向かい合い、いきなり「あの人」が仕掛けた。
shinbashi「ああ、軽いな」
komugiko00「大部屋ならではだね」
剣の使い方が、だ。彼がやってきたのは、こういう一対一の決闘ではなく、主人公に乱れかかって次々に倒されていく役だ。主役の俳優は、それぞれ軽い剣や重い剣の演技を持っているが、斬られ役は重く使っている場合じゃない。
その熟練の軽さを、カメラはスマートに撮った。そして、
K「おう。ちゃんと斬られた」
S「すごくきれいに撮ったな」
渡り合う二人を追って動くカメラが、高く上がり、月に照らされる二人を上から見る。斬られた瞬間、鮮明な光が「あの人」の顔に当たり、しかしそれは一瞬で、仰向けに倒れていく上半身は主役の体に隠れ、そのまま地面に横たわって死んだ顔も、見えない。
演出は、あの芸と人生の価値を理解している。と思った。


かくしてkomugiko00的平四郎ブームは、満足のうちに終わったのであった。