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『どろろ』手塚治虫


komugiko00管理サイト掲示板で出ている話。手塚治虫どろろ』の映画化のことである。

komugiko00は『どろろ』が好きだ。手塚作品で一番好きかもしれない。後期のなんか大きなテーマ性があるものよりも、この時期の少年漫画はいいなあと思う。まあ、それなりに作者の中のテーマは滲んでいるのだけれども、それを大上段に振りかざしていないやわらかさ、絵柄自体もこの時期が好きかな。古臭さを抜け、かつまだやわらかい。
貸本漫画のようなおどろで異常な設定を、少年漫画のエンタテイメントで描き出した作品。
まあ、これ自体は未完である。尻つぼみである。しかし、その「設定」の魅力、「旅と反復」という昔話の構造の魅力は代えがたい。


それで映画化であるが、まずこの作品に日が当たることを喜びたい。だからゲームも買っちゃったし。アクションゲームはとことん苦手(いらいらする!)なので、持ってるだけだが。
やはり設定が設定だけに、わりと「自主規制」的な感じで埋もれた部分もあると思うんだよね。まあ、ドラマとして完結してない作品だからある意味二級であるのかもしれないけど。


設定を書きます。
ある戦国武将が、天下取りの力を貸してくれと四十八体の魔物に祈願する。すると魔物は、生まれてくる子どもの体から一箇所ずつくれたら力をやろうという。そして生まれてきた赤ん坊は、体の四十八箇所が欠けていた。その赤ん坊を武将は桶に入れて川に流す。それを拾った医者が、その子に義手・義足・義眼……などなどをつくってやり育てる。それが百鬼丸である。成長して旅に出た百鬼丸は、どろぼの子供どろろと出会い、いっしょに旅を続けていく。どろろにはどろろの目的があるが、百鬼丸のほうは、魔物を探しては倒し、そのたびに奪われた体の部分を取り返していく……という話。

つまり百鬼丸は聖痕だらけのヒーローである。


ま、こんな話なんで、komugiko00がもっているのは古いサンデーコミックスで、めくらとかびっことか言いまくりである。出版自主規制の前の本だから。
あ、思い出したから余談。ある出版社の編集者が、古い著作を発行するので、自主規制用語をチェックするようにと若い編集者に任せたときの話を聞いた。「おし」をはじめ、チェック漏れがたくさんあったので叱ったら、自主規制の本を読んで育った若い編集者は、「おし」という言葉を知らなかった……という、ちょっと都市伝説みたいなほんとのはなし。てゆうか編集を生業とするなら、もっと読書範囲を広げて語彙を増やせよ若者(^^; って話でもあるが。
んで、最後の方で、敵が百鬼丸に向かって、「かたわ! かたわ! かたわ! かたわ!」と、大きな字で連呼する場面がある。これはどうなっているのかなと思ったら、「ばけもの! ばけもの! ばけもの! ばけもの!」になっているそうだ。
うーむ(^^;;; 言葉だけ変えてもムリがあるよな、設定自体がそういうものなんだから。でもこの努力の跡はちょっとおもしろい。
あ、こう書くと誤解されるかも。komugiko00は自主規制への揚げ足とりはちょっときらいだということはここに明言しとく。
たまたま昨日買った本は『差別語からはいる言語学入門』だったりする。かたわ→ばけものに関係あるかどうかわかりませんが。


……って、そういうところはべつに物語の本筋とは関係ない。
この話の魅力はやはり、百鬼丸のかっこよさと、その後のMシーンにある。かっこよさは、もちろん戦国サイボーグ(?)な体でまっこうから戦うところ。自分のために魔物退治をしてるのではあるが、結果的に人助けにものなるのに、異質なものとして人間集団から排除される影のあるスタンス。
Mシーンというのは、だ。魔物を退治した後、激痛が彼を襲う。医者がくれた作り物の体の部分が(たとえば片腕、たとえば目)がボトリと落ち、激痛に悶えるうちに本当の体が戻ってくる。
ま、毎回このシーンがしっかり描かれるわけで、ある意味見せ場である。
近い時期の『バンパイア』のトッペイの変身シーンと通低している。トッペイに関してのほうは、あれは性的なイメージだという評論がどっかにあったが、ちょっとうなずける。百鬼丸もだな。性的で、しかもちょっとM。
やっぱヒーローはM場面がいかしてないとね、というkomugiko00の趣味にぴったりである。『バンパイア』の方は、ロックとの支配関係の感じがちょっと好きになれないのだが、その点『どろろ』の方がシンプルでよろしい。


映画で百鬼丸妻夫木聡が配されているのは、最初は違うと思ったのだが、このM性のためかしら、とちょっと思ったり(^^; でもなあ、百鬼丸は、普段はすっきりきっぱりした少年剣士なのである。だからMがかっこよいわけで。妻夫木っていままでは基本M系のかわいさでやってきたからなあ、そこがちょっとイメージ違う。でもま、きっぱりなところはきっぱりやってくれるでしょう。あ、でも(^^; カツゼツに問題あるからな、彼。きっぱりしゃべれない(^^;;;


どろろ柴咲コウだというのは、まあ「女でつくる」という監督の方針ありきでの人選なんだろうな。でも、原作のどろろのもつ明るさやコミカルさは出ない感じだよね。どうせ女ならギャル曽根とかがいい←演技力無視。どうせ妄想だし。あ、握り飯とかバクバクほおばるギャルどろが目に浮かんじゃった。観てー!
んで、さらいうと、どろろは女で作っていいのか??とも思う。
原作の最後の方で、じつはどろろは女だった、というのはあるんだけどね。あの必然性がわからん。急にマツゲ生やしたりして不愉快。手塚がどういうつもりであの設定にしたのかはわからないが、komugiko00的には、あれは「なかったこと」にしている。
だから、ほんとうは、どろろは男の子で作ってほしいんだよね。「実は女だった」という筋でもいいから、役者は男の子で。それが『どろろ』だよ。
だいたい手塚は女が嫌いなんだから。



ちなみにkomugiko00が手塚作品で二番目に好きなのは『メトロポリス』である。ストーリーが好き、細部のコマまでその「ストーリー」がゆきとどいている。
これもアニメ化され、評判はいいようだが、映画は観ていない。好きな理由の一つが、あの古臭い絵柄にあるから、きれいな映像で見たくないという、ま、頑固なファン心理ですね。
三番目は……これはもう「思い出」が基準なのだが、『ロック冒険記』。小学生の頃、親戚の家の古い木の本棚で、古い漫画を見つけた。それが『ロック冒険記』。茶色っぽいハードカバーで、その家の人々が読み込んだらしく少し壊れかけた本で……。その装丁もあいまって一つの世界になっていたかもしれない。夢中で読んだ。成人してから新本で買った。んー、まあ、おもしろかったが、あのときほどではなかった。あれからいろいろなものに出会ってきたからだね。つまり、『ロック冒険記』は、komugiko00にとって、なにかと初めて出会った本だったのではないかと思う。それがなんだったのかは忘れた。学校で読書感想文といわれてこの本を書いたが、うまく書けなかった。作文や感想文の得意な子供だったのに。なにかがいっぱいすぎて。なんだったかはわからないけど、ともかく三番目にはおいておきたい。



どろろ(1) (手塚治虫漫画全集)

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メトロポリス (手塚治虫漫画全集)

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ロック冒険記(1) (手塚治虫漫画全集)

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差別語からはいる言語学入門

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