観た!

観客。

kurukurubird バナナマン


於 俳優座劇場
2006年8月19日 19時開演


※この文章はコントの内容に触れています。





バナナマンのライブはどんなことがあっても行こうと誓ったのに、昨年はいろんなことがばたばたしすぎ、行けなかった。今年は万難を廃して行くぞ! と気合を入れていたが、万難がなかったので、簡単にいきました。


というわけで、俳優座劇場でのライブは初めて。場所もいいし、会場もいいね。席位置がよかったのかもしれないが、見やすかった。


初日に行った友人から、「とてもおもしろかった。でも、二人が出てくるだけで『キャー!』となるのはどうか」と聞いていたので、え〜? そりゃバナナマンに不似合いな、と思っていたが……
わかった、これはいわゆる「出オチ」ってやつ?
1ネタ目、ライトがついた瞬間に明らかに可笑しかったです。あ、この日は「キャー!」はなかったけど、反応ははっきりあった。バナナマン、「二人で座ってる(立ってる)だけ」みたいなスタートもわりとあるけど(その間にカボチャやアコーディオンがなぜかおいてあるあのパターン好きだけど)、今回は派手な。
あ、そうか、「二人でいるだけ」だ、そういう意味ではカボチャやアコーディオンと変わらない。そのさりげないたたずまいなのに、あの格好なのが可笑しいのだ。
カッコだけじゃ可笑しくないね、二人のあのまじめくさったたたずまいだから可笑しいのだ。
というわけで……



  • kurukurubird

古風な飛行帽をかぶって背中に白い翼を背負い(リュック式なのがありあり)、「飛」とか書いた派手な色のTシャツを着た二人が、実にまじめくさって立っている。
その時点では、しばらくしてコントが展開していくのにひっぱられていたが、少し時間がたってこうして思い出してみると、記憶の中に、最初のあの「たたずまい」が鮮明なのだ。「立ち姿」そのものではない。ポーズなどはっきり覚えているわけではない。顔と体の表情を含めた「たたずまい」だ。それにもう、そのあとのコントで演じられる「こいつら」の感じが全部出ていたのだ。あとから振り返れば、すべてがすでに語られていた、と言っ……たらさすがに過言かもしれないが、そういいたくなるぐらいのものではある。あれが見せられるところがバナナマンのにくいところだ、と、今はつくづく思う。
ネタは、アホウドリの話から鳥関係になんだか無意味な感じで展開していき、彼ららしいぐずぐずっぽい会話から、だんだんシチュエーションやその格好の意味がわかってくる。
鳥人間コンテストに出る。落ちるだけじゃん。でも生身で飛ぶことを大事にしたいんだ。
まあこう書いちゃうとさ、見え見えのメッセージみたいにもなるけど、これをだらだらの力の抜け方で、だらだらの日常として、だらだらの中に埋め込んでやってしまうところ。……にくい。


  • 宮沢さんとメシ

入り口で渡された二つ折りのプログラムでタイトルを見たとき、「あの」宮沢さんが一瞬頭をよぎったが、もちろんそうではなく、宮沢りえだった。
なにこれ、なーんにも特別なことはない、ある日の路上のシーンで、結局なーんにも特別なことはないある日に戻るだけの、コント。
そういうところ、すげー好き。

コンビニ袋を下げた日村と、スーツ姿で歩きながら携帯で話している設楽がすれ違う。知り合いらしい。久しぶりじゃん的な顔つきを交わし、設楽が電話しながらちょっと待ってて的なジェスチャーをし、日村が待っているのに電話は一向に終わらず、終わると思ったのにまた続き……をいつまでもやる。ふつうに予測できるよりもしつこくやる。この塩梅がバナナマンらしいよね。なおかつ二人ともあまりにナチュラルに過ぎて笑える。何の説明的言辞もないけど。これこそ究極の「あるあるネタ」では。

ま、そういう、何の意味もない日常のちょっとおかしなズレ的ジャブを入れつつ、内容は設楽の知り合いが宮沢りえの知り合いで、設楽と三人で召し食おうと誘ってきたが、日村も行かないかと設楽が言い出し……まあ、どうでもいいことを真剣にああだこうだ考え、考えすぎてテンション高くなりすぎる日村と引く設楽というよくあるパターンでありつつ、それで結局、何もないのさ。

あそこで終わってしまったとしても、komugiko00は絶賛。ってか、オチ「大林素子」は、まあきれいに落としたけど、なくても「ドラマ」としてはぜんぜんいい。彼らがやってるのは「コント」であって「ドラマ」じゃないけど、「conte」ならそういうのありなんじゃない? 知らないけど。

途中、二度ほどの、「おれとじゃメシいかないのか」「ん、だからコンビニで買っちゃったんだってば」というやりとり、好き。そう、そういう立ち位置。この種のポイントを抜き出させたら、バナナマン絶妙。

  • too EXCITED to SLEEP

これもう始まりがすてき。
舞台奥にたたんで重ねた布団が二組、その前で枕を投げ合う二人。思いっきり投げ合う。ばかみたいに力いっぱい。すごく楽しそう。んで、要するに設楽のほうががんがん投げて、日村は「枕投げ」をしている体で当てられっぱなしなんだけど、「楽しいね〜」。おまえら普段からこうだろ、と思っちゃう。いや、本当にそうかどうかべつとして、そういうリアリティ。あれ、ほんとに思いっきり投げている。昔の山の鬼の手が当たっちゃうゲームね、あれとおんなじ。ほんとのことを舞台でやっていて、そのむきになり方が、可笑しい。というか、あの種の子供じみた熱中の仕方の可笑しさを、ほんとうにやることで見せてる、っていう順番か。

そしてのそのハイテンションのまま、エクサイテッドのまま、すごいテンポでボケて突っ込んでギャグをかまして、お笑いはこういうもんだよ的見解も披露しつつ。お笑い志望か芸人かそれを夢想する二人組みか知らないが、「ここでタマネギもって来ちゃったら、インディーズの一番なんだよ、おれらはメジャーでやっていくんだから」と、リアルネタ含みつつ、勢いは止まらない。彼らが考えたことか言われたことか、というようなことがマシンガンで。テレビでこれだけのテンポとテンションのバナナマンなんか見たことない。テレビでもともられているものを舞台でやってみせた的、しかしあくまで「友達の家に泊まる」興奮のなせる業のレベルを出ず。

「タマネギ」だが。設楽が日村に貸した寝巻きが「微妙」なことについて。なんだかおかしいが、おかしすぎない(白い短パン&ショッキングピンクに黒い水玉のタンクトップ)。そのことについて二人で、「これだよね、これがちょうどいいところだよね」と盛り上がる。そこで設楽が、「おれ、着るもの貸すってあっちいって、最初はタマネギ手に取ったんだよね」←日村も客席も半端な反応。「でも、これはやりすぎだ、これはインディーズの……」という展開。
そのまま聞き過ごして十分無邪気な面白さだが、バナナマンが自分の立ち位置を確認しているように聞こえる。実際。



  • 青い鳥

設楽は女装にはまったのか?
いや、非常にいいけど。あの似合わなさが可笑しいと同時にリアリティあって、そのへんがじつにバナナマンらしい。
小林賢太郎含めて芸人のありがちな「女ぶり」がきらいだと言っているkomugiko00だが、これはわりと抵抗ない。なんでかな〜、設楽モードだから?
ま、芸人一般の「女ぶり」が、かつてありがちだった「女の子っぽさ」を誇張するのに終始している感じがするから。パロディに発した「類型の誇張」であるから、好きくない。設楽の女ぶりは、そのスタイルは踏襲しつつ、「ミサキさん」だとわかる。その「人物」の個性がある。
「女役ってこうすりゃいいだろ、これすれば女客が喜ぶだろ」的自己陶酔がないんだよね。
この「その人物の姿が見える」さりげないリアリティはバナナマンの真骨頂であり、「人物」の性別が変わったからといってそれははずれないのさ。
だいたいちょっとオカシイ女だし(^^; この、ありがちにもありがちな展開の中で、一つ前のネタではないが、ちょうどいい感じのずれ方。
komugiko00がラブラブのドラマもそのパロディのコントも基本的に好まないにもかかわらず、抵抗感無いんだよなあ……。


ヘンなネタ(^^; いや、ヘンっていうのは……。
ファイヤーストームの両側に設楽と日村が立っている。察するに、子供たちをキャンプにつれてきた「お兄さん」たちで、まあキャンプファイヤーで寒めな司会を務めているところ、といった体。
日村は人が良くて一生懸命で設楽からバカにされているのにも気づかずに忠実ついていっているキャラ。
歌を歌うといって、設楽が延々と熱唱するあたりからちょっとおかしいな、と客は感じはじめる。
明らかに優位に立った態度をにおわせつつ、日村がいたからキャンプが実現したんだよ的なことを設楽が語りはじめると、ただ立ってそれを聞いている日村の顔が……立ち方が……これはもう、「形」そのものをはっきり覚えている。信頼する「友達」にほめてもらってすこしじーんときている、すっとろい働き者の顔。そのたたずまい。スマートなやつ、人の悪いやつは決してこんな顔はしない。
そして日村がずーっとその顔をしている間に、設楽は話し続ける。客は笑うけど、それは設楽のしゃべりがおかしいとともに、もしかしたらそれ以上に、日村の顔がおかしいからだ。バラエティで見せる、「さあおもしろい顔でしょ」というのとは格が違う、人間性のニジミ出過ぎる顔に、笑う。ここでこの顔をただ「見せる」だけで、誇張してこないからこそ、ほんとうに響いて笑ってしまう。
設楽の話は、日村をほめながら、地味で、という感じのほめ言葉が、ふいっとパッとしないという意味に変わっている。彼がキャンプの準備をやってくれた、彼は外国にも行ったことがなくて……ここで、このキャンプを一番大事にしてるんだよ的に続くのかと思いきや、ぼくはこないだまでカナダに行ってたんですけど、とつながる。したら〜〜〜〜〜。
そして最後を、「ぼくのような人間になってください!」で締めくくる。さらに日村の音頭で、みんなが設楽に向かって「遊んでくれてありがとう」と言ってキャンプは終わる。なんだこれ。

いや、それだけなんだけど。
日村はともかく、設楽のキャラは、「このまま」ではいないでしょ? でも、すげーわかる。わかるけど、いねーよ、こんなやつ。でもリアリティ。「ヘン」っていうのはそういう意味。絶妙っていうか、微妙って言うか。
面白いネタなのかどうかも微妙なのだが、この微妙さが気になってしょうがない。


  • LAZY

たまんねえ、これ、このネタ。
バナナマンのネタの多くはある意味サスペンスだが、これもそれ。赤えんぴつが四畳半フォークなら、これは2DKサスペンス。
同級生? っぽい日村と設楽が同じ家に住んでいたらしい。設楽が結婚するのでひっこすらしい。結婚相手は日村の妹らしい。
設楽は、なんでもいいかげんでやりっぱなしの人間で、妹と結婚することさえ日村は最近になってやっと知ったらしい。
二人で荷造りをしているのだが、日村がせっせと働くのに、設楽は椅子に座ってコーヒー飲んじゃったり、片付け始めてすぐアルバム見ちゃったり。……komugiko00か(^^;
そして、そのアルバムから、昔の話がよみがえってくる。まあ、例によって、日村は好きな女の子がいたのに、彼女は設楽を好きなんだと思い込んで、何も言わなかった。今もその子を好きなのに、何年も連絡も取っていない……。
んで、その経過にいろいろ笑いとサスペンスと笑いなサスペンスが仕掛けられて、LAZYな設楽が「ちゃんと言葉にしなきゃ、伝わらないんだぞ」と名言を吐く。
それで、日村が彼女に電話しようかなどと葛藤しているとき、封筒が見つかる。最後に会ったときの後、彼女が日村に送ったものだ。日村と二人で会えるといいな、的に書いてある。そう、名言を吐いたLAZY設楽が、来ていた郵便を日村に渡さずにそのへんにおいて、そのまま埋まっていたのだ(komugiko00か)。名言はいて励ましてるけど元凶はおまえじゃんか的な混乱の中で日村が彼女に電話して……というパターン。

「だるまのTシャツ」とか、「アルバムに映っているへんなかっこうの日村」とかがだんだんときあかされていく。

その「だんだん解き明かされて」がとてもきれいにできあがっているけど、所詮2DK的ほのぼのラブコメなんである。これがバナナマンの選んだ境地なのだろうな。




***


終わった後のトークで、ふたりとも満足げに、「今日はよくできた」と言っていた。客席に向かって、「いい回に来ましたね」とも。ん、そう思った。なんかこう舞台上も、客席との間も、何がどうとは言えないが、芳醇でしたよ。


ネタの中にあった、「それじゃインディーズのトップだ、おれらはメジャーでやるんだから」というセリフ。
以前のインタビューで、設楽がこんなことを言っていた。
「マイナーでやってもそれで人気が出ればマイナーのトップになってしまう。おなじことだ。それなら、おれらはふつうにやろうよ、と思った」
これを聞いてshinbashiが、「ラーメンズのことだな」と言った。まあそうであるかどうかは不明だが、ラーメンズがああいう選択をしたときに、周囲も言っただろうし、バナナマンも考えただろうな。ライブの完成度と評価の高さ、テレビのバラエティとは異質の適性、ということはラーメンズと共通しているから。
shinbashiは、『RADIO DANCE』の箱のネタをバナナマンの最高傑作と言っている。shinibashiの好みではそういうことだ。アイディアも構成もよくできた長いネタ。「またああいうのを作ればいいのに」という。
その見方はよくわかる。それでいったら、今回のネタなどはスケールダウンかもしれない。いろんな意味で。それ以外でも、暗さがうすらいできたとか、いろいろあると思う。
ま、komugiko00も、そういう構成にこった暗いネタは好きさ。それがあったからバナナ万が好きになった部分もあったかもしれない。

でも、今回のライブは、面白かった。これが彼らの選択なのだとよくわかり、そしてその選択そのものが、おもしろかった。心地よく面白かった。


「またこういう形でのライブはやりますんで、また来てください」
はい、また来ます。


数日後、知り合いに会って、「この夏のイベントはバナナマンのライブぐらいだ」と言ったら、「それはたいしたイベントじゃありませんか」と言われた。
はい、そうです。