五代目中村勘九郎 最後の「連獅子」
DVDを買った。
歌舞伎のDVDを買うのは初めて。普通の演劇以上に、生で見るのに比べてテレビ映像などの印象が平面的だからだ。もっと落差を感じるのは能だけど。
この演目は、もう20年近く前、先代勘三郎の晩年に、勘三郎と勘九郎で演ったのを歌舞伎座で観た。そのときは勘九郎(現勘三郎)が赤頭の子獅子のほうである。
もう、私の観客人生に残る屈指の名演で、いまでも立体的にその劇場空間を目の前で見ることができるほどだ。あのとき、「演者が手を伸ばすと、劇場の空間がぐいっと動く」のを見た。その空間の密度と自在さに、涙が出ちゃった、という舞台である。
それだけのものを観たら、もうこの演目一生観なくたっていいのである。
あれで死ぬまで楽しめるのである。
だから、この、勘九郎としての最後のツアーをやっていたとき、ちょっと迷ったけれども、チケットを取らなかった。
んー、当時、個人的な状況として、とりにくいチケットをがんばって取る気力があまり出なかったというのもあったのだが、状況が違っていてもとらなかったかもしれない。
勘九郎が赤頭でなく白頭の親獅子を演じるのは見ていないのだから、気持ちが動かなかったわけではないが。
ま、正直、あのときの勘九郎の域まで七之助は行っていない、という思いもあった。年齢も若いしね。
そんなわけなのだが、長年の勘九郎ファンとして、そして「あの日」の、形を変えた記念として、いちおうDVD買おうかな……と思ったのだ。逆に平面的な、二次的な映像であれば、ちがうものとして見られるし。
で、買って、見た。
ん、悪くないね。
おうちで、テレビ画面でこんな感じで見るのは初めてだけど。かえって大衆芸能としての歌舞伎を楽しむかんじで、それ自身がよかった。
七之助も、なかなかよかった。
そうか、彼も20歳越えたし、そろそろかな、と思わせた。
komugikoの持論では、「歌舞伎役者は25歳越えて色気が出る」なのだ。
前髪の、16・7歳の役であっても、その年齢の役者が演じると子どもっぽく、物足りない感じがする。25越えて、体も安定し演技も成熟して初めて、芝居の虚構としての「若さ」「ウブさ」が美しく見えるのだ。
なにしろ映像であるので、七之助があのころの勘九郎のように劇場空間まで動かせるかどうかは見えない。
年齢もまだ若いし、あのときの勘九郎よりは未熟かもしれないが、若獅子に求められる機敏さは出ていたと思う。
もともと彼は癇の強い感じの演者だ。若くてきれい(頬が細すぎるが(^^;)なので、女形もよくやるけれども、これが似合わない。情感に欠けるのだ(勘太郎のほうがいい)。 「野田版 鼠小僧」で、はねっかえりな設定・演出の赤姫で、急にのけぞったりを演じていたが、そのときははまっていた。そういう持ち味が、子獅子の役には合っている。
青臭いほど機敏。
それがいいのだ。「あの日」の勘九郎はもっと年齢も行っていたし、その機敏さを昇華して演じきっていたが、この七之助は青さウブさがいい。
ん、ほんとうはこのバランスが、「連獅子」なんだろうな、と思った。
「あの日」、勘九郎はすでに「脂の乗った」演者になっていたし、勘三郎はすでに「晩年」だった。だからこそできた完成度ではある。だが、この親も子も「若い」感じが、この演目の本来の話なのかもしれない、と思った。
と、七之助のことばかり書いてしまったが、勘九郎は?
よかったよ。親獅子は威風で演じるものだ。それがでていたし……。
んーーーー今それ以上言葉にできません。
映像では平面的だからのなんのと言ってたわりに、何度も観てしまった。
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