観た!

観客。

船のへさき


私はいわゆる遅い子供で、うちの母は大正12年生まれである。戦時中に女学生だったわけだが、通っていたのはアルゼンチン系のカソリック修道女たちがやっていた学校だった。
つまり、大勢翼賛とは無縁の価値観が生きていたところだ(今思うと、そんなところに娘を入れたじいさんが興味深い)。
ときどきやってきた神父はドイツ人、もちろん彼も当時のドイツの国家体制とは無縁の価値観に生きていた。
アルゼンチン系、というあたりが、よかったのかもしれない。シスターが弾くギターに合わせて賛美歌を歌ったり、誰かが聖書を朗読するのを聴きながら刺繍をしたりしていたらしい。


ときどき憲兵がやってきて、校長に教育勅語を暗誦させる。
一字でも間違えたらひっぱる勢いだ。
それをアルゼンチン人のマドレ・エルネスティナが完璧にやってみせる。

これは生徒たちの前で行われたらしく、「外国人にあんな難しい日本語を言わせるなんて!」と、母は内心憤っていたらしい。こういうのこそ「むかつく」というのだね。


戦争中の娘であるから、その校長にこう質問したそうだ。
「神様がいらっしゃるのに、どうして戦争をお止めにならないのですか?」
校長はこう答えたそうだ。
「神様は人間に、意志力をお与えになりました」


すばらしい答えだと母は思い、この話を聞いた私も子供心にそう思った。
(ところがこの話をすると、いやな顔をして「宗教ってそういうああ言えばこう言うでごまかすんだよね!」という日本人に何人か会った。悪いけど、そういう反応をする人は、自分で意志を持ち意志を持って行うという覚悟のない人だと思う)。


マドレ・エルネスティナは、ブエノスアイレス生まれ。子供のころに日本のキモノをもらったことがあり、それで日本にあこがれてやってきたのだそうだ。
当時、船に乗って南米から遠い距離をやっていたわけだが、その出航のとき、黒い修道着を着た彼女は船のへさきに立って両手を広げた。
長い衣がなびいて、飛び立つ鳥のように見えたそうだ。


そうやって飛び立ってやってきた日本が戦争に向かい、そこで潔く生きた人である。


なので、映画『タイタニック』は見る気になれない。
宣伝だけで映画を評価するのはいけないとは知っている。
でも、後ろから男に支えてもらってきゃはは〜とか言ってる小娘が、飛んでるつもりになってんじゃねえっ…って思っちゃったりする。
会ったことのない故マドレ・エルネスティナはきっとそんなことにこだわらない。
でも私は彼女のような境地に立っていない俗人なので、こだわるのさ、ごめんなすって。