観た!

観客。

金魚



小学生のころ、縁日で掬った金魚が一匹だけ、5年ぐらい長生きをした。

写真はkomugiko00作の金魚のブローチ(画面上の写真が実物よりでかいっ)。


自分がデザインするときに、魚はわりと好き。


熱帯魚を飼おうかなあと思って、いろいろ調べた。本も買った。
んー、でも大変そうだし、スペースもあんまりないから、金魚にしようかな、何十年ぶりで、とも思った。
でもやめた。


なんかこう、都会の閉鎖された構想の部屋で、さらに閉鎖した水槽に魚を飼うというのが、それだけで息苦しい気がした。


komugiko00が今住んでいるのは、高層である。窓が開けられる程度だが、はしご車が届かない程度である。
越してきたばかりのころは、「閉じ込められた」気がした。玄関ドアしか開口部のない空間、と感じたのだ。
実際は、ベランダがあって、窓がある。窓の向かいのビルはずっと低くて、見晴らしがよく、ふつうに言って「開放的」と言っていいと思う。
それでも「閉鎖されている」と感じたのは、このベランダはまるでスクリーンのよう……というより、ここからは「出入りできない」のだ。


この部屋に来る前は、2階に住んでいた。敷地に植えられた木がベランダの横に伸びていたし、前の道を行く人々の声や気配がしたし、その気になれば塀や木をつたってベランダから出入りするのは難しくなかったと思う。


今の住まいも、敷地に木は植えられているが、2,30メートル下にある。道は見えるが、そこの話し声も気配もわからない。逆にもっと遠い音がはっきり聞こえたりする。
もちろん、このベランダから出入りできない。
いや、その気になれば出られるけど、「帰って来れない」。


なれたけど。見晴らしいいし。便利だし。住めば都。


でも、水槽を置こうと思ったら、水槽の中に水槽、っていう感じがしちゃった。
外に出られない空間を区切って、生き物を入れるのに抵抗が……。


ニモがはやって、カクレクマノミが捕まえられまくってって、理解できん。観てないけど、あれはつかまって水槽に飼われちゃった稚魚を助ける話なんじゃないのか?
それがよかったなら飼うなよ(^^; と思った。


広い庭のある家に住むことがあったら(たぶんない。一生都心のマンションに住むのが希望)、動物を飼ってもいいかな。金魚が5年生きた実家は、古い隙だらけの木造家屋で、庭があった。金魚が死んだら庭に埋めた。今は生ゴミになっるっていうのもなあ。いいんだけど、プラグマティックな人間だから死骸はモノだと思ってるから。でもそういうふうに「ペット」を所有するという人間の慣習に、最近なじめなさを感じるんだなあ、なぜか。金魚なんて、もうそのために変形させまくったものなんだからいいじゃん、とも思うのだが。


それはそれとして、魚はデザイン的には、楽しい。