観た!

観客。

『真夏の夜の夢』ツアー:新横浜

今日は行くとは決めていなかった。まあもうこのツアー2回参加したし。青森での満足感が非常に大きく、満足できるもの見た後は上乗せしない習慣。だし、ゆうべからちょっと体調悪くて。それに明日は朝っぱらから法事があって、坊さん(非白塗り)の読経(アンプラグド)を聴きに行かなきゃいけないし……。
それが。午前中に、ちょっとタクシーに乗ったのだが、……まずシートが古風な布張り。ここでちょっとあれ?と思うよね。めずらしい、あ、個人タクシーなのか。運転手さんの趣味なのね。
その運転手は坊主頭に眼鏡に口髭、運転席の前に数珠が置いてあり、ミラーに仏教風装飾が下げてあり、ラジオから流れてくるのは……津軽三味線
啓示というにもこれでもかと念の入ったことで。
しょうがないから、薬を飲んで、参戦を決意。


行ってよかった。
よかった最大は、ぜひぜひぜひライブで聴きたい&観たいだったあの曲、『牡丹灯篭』をやってくれたこと!
んーーーーーーー。いいっ。音も映えるし、パフォーマンスも際立つ。
鈴木「初めて演りました。最初で最後でしょう」
客「えーーー!!」
和嶋「そんなことないよね!」
デジャブ。『芋虫』のときと(^^; 芋虫は結局komugiko00は2回聴けたけど。
今後もライブで聴きたい曲、『踊る一寸法師』『芋虫』『牡丹灯篭』です、鈴木研一殿。


今日は、昼間粘土制作して、それからライブに行った。そのため脳内構造が視覚寄りになっていた。あ、ちょうどいい。青森では「音は振動という物理」をたっぷり堪能し、それとは引き換えに視覚を閉じていたから、今日は視覚全開でライブを「見る」ことにしよう!


というわけで、メンバーの楽しそうな様子とか、手の動きとか、お楽しみ鈴木のパフォーマンスとか、隅々まで見て楽しんだ。視覚全開にすると、また違った聴覚の働き方もあるもので、それも楽しかった。

そして、観ながら、思っていた、あ〜、今年の見納めだな。
真夏の夜の夢』ツアーはまだ千葉があるし、各種イベントも予定があるようだが、komugiko00的には今日が最後。のつもり。
そう思って見ると、またいっそうしみじみとする。次にステージを見るときは、だいぶ先になるだろうし、そのときは、砂が水を吸い込むように聴くからね! 



明日のために、今日はこれ以上核時間がないので、また後日思い起こしながら加筆予定。




↓とうことで、後日の加筆。


オープニングは『夜が哭く』だというつもりでいたら、いきなりバリバリと始まって、な、なんだ? と一瞬うろたえる。『転落の楽典』だ。
あとでMCで鈴木が言うには、「この横浜、サウンド、アリーナ、ホール…は、メタル専門の場所で、メタルしかやっちゃいけないので、この選曲になりました」
なるほど。しかし、和嶋に「横浜アリーナサウンドホール」と教えてもらったのに、あとでまた間違っていた鈴木。覚える気ないだろ(^^;
このオープニングはこれで悪くない。
MCの後で『夜が……』。んー、MCでまったりさせてもらったので、一段と味わえたかもしれない。


真ん中あたりでUFOっぽい系の曲を続けて。ハプニングもありつつ。
このあたりで和嶋の「高校生のときUFOを見た話」。
まあ、前から何度もしているよね。こういう話をすると鈴木が「ぼくはそういうのは信じませんっ」と頑なな口調で言うのが好きだったんだけど、このツアーでは黙っている。まあ、そういう歌やる導入だからね。
でも、和嶋がしきりに鈴木を気にしながら話すのが可笑しい。青森では無言でも「しらっとした表情」を作って見せていた鈴木だが、横浜ではまじシカト?(^^;
じつをいうとこの辺の曲にはそれほど思い入れがないので、前述の「視覚」の方に安んじて重きを置く。


そしてあの『牡丹灯篭』。
あとで「最初で最後」と言っていたが、鈴木の歌いっぷり、パフォーマンスとも、歌舞伎で言えば「たっぷりと」という見せっぷり。だからたいへんなんだろうけど。
これは、好きなタイプの音だ。
そして、このあたり、視覚的にも……。重い&負担が多い曲をやっているときの鈴木の額からこめかみにかけて、白塗りの下の、素顔はすっ飛ばして表情筋の形状が……造形的に参考になる&インスパイアされる。これは、長髪だと見えなかったところで、坊主の功徳か。和嶋に目を転ずると、こちらは髪があっても額もこめかみも見えるけれども、表情筋より頭蓋骨の形状がもろ見え……と、何しにライブに行っているんだという観察眼になってしまったよ(^^;

これのギターソロは般若心経なんだと和嶋が言っていた。


それから『どっとはらい』。なんかこの曲が途中に入るのがちょっと不思議な気がしてしまう。「これでおわり」だからね。
この曲の前にはダダイズムについて和嶋がちょっとMCを入れてきていたが、この日は高橋新吉をかいつまんでと言いつつ結構な長さ読み上げる。あげく、「お客さんもメンバーも静かになってしまいましたっ」。まあな。ノブがえらく神妙な顔をして聞いていたっけ。
和嶋がダダイストかというと、二つの点で首をかしげる。一つは、komugiko00がダダをよくわかってないから。もう一つは、そうは言っても和嶋にはふつう意味が通っているから。和嶋の歌詞のつじつまの合わない魅力というのはあるし、私が彼の歌詞をあまり評価しない場合は、「つじつまが合ってしまっている」場合だったりする。こう、不確信犯というか、詰めが甘いでも音に乗っけるためでもいいから、そういう緩さでつじつま合わなくいてほしいのだ。
ただ、つじつまが合っていないときでも、空中ではあってるんだよね、和嶋は。こう、何もない地面に立って、未建築の五重塔の五層目の木組みを見上げているような。棟梁には見えている故の飛躍、というようなものだね。


『世界に花束を』は「義務です!」と和嶋が言っていたが。
この曲のメッセージ性についてはともかく、音としては好きなので、何度やってくれてもいいよ。
手紙の朗読部分で、録音のとき、最後に来てなぜかなまってしまって、ブースの中も外も爆笑した、という話を鈴木が楽しそうにしていたが。
なまっているのもアリだと思うけどなあ、メッセージ性からいけば。でもそれだと人物造形が違ってくるのかな。ある種の普遍性が必要だったから標準語なんだろうけど、せっかくなまれるんだから、なまったのも作ればいいのに、と思う東京モンkomugiko00。


MCのとき、和嶋に促されて鈴木が裏声でノブのまね。「ケンチャン、キモチワルイキョクツクッテヨ!」
二人ともえらく楽しそうである。よかったな、ノブがいて。
もちろん本物のノブはあんな「腹話術の人形のような」金切り声ではないが(^^;、あの、「性格的基礎代謝の高さ」をよくまねていると思うよ。


アンコールのときに、不ぞろいの拍手とコール。「このそろってないところがいいですね」と鈴木が言っていたが、ん、komugiko00も、人間椅子のライブが好きな一つは、こうい雰囲気にあるよ。バンドは「間」をあけていい、客はそろわなくていい、っていうね。


この雰囲気のままで、またね。