観た!

観客。

納涼歌舞伎『裏表先代萩』


八月の歌舞伎座中村屋の月である。
もともと8月に歌舞伎は上演されなかった。
冷房のない江戸時代からそうだったわけだし、歌舞伎座を所有している松竹の歌劇団の公演があるのが習慣だった。だが、その松竹歌劇団が解散してしまう。
8月が空いた。
そこにすぱっと入ってきたのが、五代目中村勘九郎だった。と思う。まあ、経過は知らない。
怪談乳房榎』『野田版 研辰の討たれ』など、秀逸であった。
コクーン歌舞伎で培った斬新さを持ちつつ、あくまで伝統演劇としての歌舞伎を見せてくれる納涼歌舞伎だと思っている。



8月は3部構成。これの是非は置いておこう。
全部中村屋系の面子である(親戚・おともだちとかってことね)。
今年は、どれに行こうか、迷った。1部は『磯異人館』にちょっと惹かれた。『研辰』で新作のいいものがあることを知ったし、舞台となる明治も好きな時代。育ってきた中村屋兄弟も見たかった。2部は目新しかった。渡辺えり子の作・演出も興味があったし、もう一つの『ゆうれい貸家』は、山本周五郎の原作はおもしろいし、48年ぶりの上演だというし……。
結局、3部に行った。上演回数の少ない、古典作品『裏表先代萩』。
鶴屋南北が、『伽羅先代萩』に裏=世話物をからめて書いた話である。
んー、先日コクーンを見て、楽しかったけど「現代的演出・音響」などに少々食傷したこともあって、ちゃんと古典を見たくなったのだ。
席もわりとよくて、鳴り物の音の美しさも堪能できて、よかった。


勘三郎が3役こなすが、やっぱり世話物の三枚目気味の役が一番いいなあ。
面白みのある、愛嬌もある、でも実際は人殺しの強盗で、その罪を貧しい父娘になすりつけようとたくらむという……すっげ悪人じゃん! な小助。
裁きの場で、他の登場人物が話したりなんだりしているときに、かしこまって座りながら表情を動かすのが見せ場だが、うまい(^^;;;;
地位も人間も「小物」なのに、けっこうたいそうな悪人という、リアリティがすごいな。この役者は、人間のそういうところ、心底理解しているんじゃないかと思ってしまうよ。
もちろん、そういうものを書いた作者がまず慧眼なのだけどね。それを子供のころから体で読み込んできたからこその「理解」だろうか。



政岡も、毅然としている、抑えているあたりはよかった。嘆くところは……んーーーーーーーーーーーー、もう一つ痛々しくない。彼の「柄」なんだろうなあ。
「表」では孝太郎がよかった。
昔々、お父さんにくらべてぱっとしないコだなと思ったのだが(失礼)、父仁左衛門とは対極に位置する役柄で、非常に存在感がある。地味で、誠実な女形、ね。沖の井はりりしく出すぎず、すごくかっこよかったよ。

それから、扇雀もよかった。八汐は立ち役がごつく威圧的に演じることが多いのだが、それに比すればすっきりと、でも十分憎らしく。


ちなみに、政岡はkomugiko00ひいきのキャラなのだ。
主君のために自分の子供を見殺しにするのを非合理、荒唐無稽などと近代に批判された話である。
もちろん、デモクラシーというものや西洋リアリズムの演劇を初めて知った明治人や、「国のため」にマジ死んだり負傷したり焼け出されたりを体験した戦中派が、彼らの実感として政岡批判をするのは、理解できる。
ただkomugiko00は、自分が何を優先すべきかについて確固たる意志を持ち、実行していく人物はリスペクトするのだ。
政岡が体制に疑問を持つことができなかった人間だともいうかもしれない。だが、作者も、役者も、そのようには解釈していない。一つの研ぎ澄まされた魂として描いていくのだ。あの「飯炊き」が名場面であり、役者の力量を非常に要求するのは、そういう意味だ。
今回飯炊きがなかったのは、正解だったね。そもそも『裏表』にあるのかどうか知らないのだが、あれは『伽羅』で「表」の流れでこそ生み出される美しい中州……のようなものだろう。


さあて。
仁木弾正も、よい。ちょっとこうキレちゃった人も、勘三郎はいいんだよな。
やはりこの人は「派手」なんだと思う。だからいなせな世話物や、ちょっといっちゃた性格や状態の人の凄みが出てくるのだ。
あと(^^; なんのかんのいって立ち役の方がいい。

巻物を手に入れて、劇場が照明を落とし、わずかに照らされる花道を、一足一足ゆ〜るりゆるりと踏みしめていく、あの静かな、長い(実はそうでもないだろうが)時間と空間のくみ上げ方は……。息を呑む、って、こういうことか。

最後のもう完全にいっちゃっている怖さずるさ残酷さ。青隈に白い装束というのがすっきり似合う容貌でもないのだが、気になりません。


三津五郎は久々に見た気がするが、さすが。こう、かっこよすぎる倉橋弥十郎細川勝元のような役を、清潔な存在感で演じることができるひとだね。


勘太郎の荒獅子男之助は、かなり頑張っていたかと。声が……中村屋の声なのかなあ、この人も。先代勘三郎も当代も、「伸びる」声ではない。しゃがれごえだ。それであれだけカツゼツがよく通るのは、芸の力だろう。勘太郎も同系の声なんだなあ、と思うのはある意味感慨だが、残念ながら芸を磨く必要のある声、ということになると思う。


声なら七之助も似た条件かな。彼の足利頼兼は立ち姿がきれいだった。独特の「硬さ」をどううけとるか、でもあるが。よく取れば、偉そうでよろしい。足りないと取れば……そうだなあ、菊五郎なんかがこういうのやると、いかにもやわらかく強さを見せるだろうなあ……などと思う。そのへんが、「じいさんがだぶだぶの皺顔白塗りにして若い役」を演るある種醜態をさらしてでも、老練の役者に演じてほしい歌舞伎の世界なんだなあと、つくづく思うよ。





芝居が跳ねると、すぐに客が立ち上がってさっさと帰ってしまう、歌舞伎座が好きだ。