観た!

観客。

おじさん・おばさん


先日例によって「よろづ屋平四郎」を見ていたのだが、スンシュケが子供に向かって、「おじさんが〜してやる」と言っていた。
shinbashi「おじさん、なのか」
komugiko00「子供に対して、成人はおじさんだよ」


というのが、小説など読む限り戦後までのふつうだったし、原作でもそう書いてあるはずだ。成人独立した男子が、「おにいさんだよ」などということはありえない。女子も。

以前バラエティで、「月光仮面のおじさんは〜」の歌詞を聴いて、「おじさんなんだ」とがっかりしたように、すでに「おじさん」年齢のMCが言っていたが。
これもそう。独立した成人男子だからおじさんだ。


以前、親戚の集まりがあったとき、komugiko00と一つ違いの従妹が、初めて会った遠縁の大学生に、「私たちなんてもうおばさんだから」「こんなおばさんばかりじゃつまらないでしょう」と何度も繰り返していて実にウザかったぜ。
いや、べつにわれわれの年齢性別は「おばさん」ですが、何か? 私は自分を「つまらない」人間だとは思っておらん。おほん。
彼女のこの卑屈さはなんなんだ? そして彼女が自分を「つまらないおばさん」と思うのはいいとして、私まで巻き込む勝手さはなんだよ。


成人男子たるものが、子供に対して自分をカッコたる「おじさん」と自称しなくなった。成人女子が、「おばさん」という言葉を自ら垢にまみれた汚い言葉にした。
こんなオトナたちでいいのかあ?!?!
と、ガラにもなく思ってしまうよ。


komugiko00は、自分はある意味大人にならないできた人間だと思っている。こう、「わがまま」なまま生きてきたから。
そして、別の意味で、青少年に対して胸をはって「大人だ」とも言える。これまでちゃんと「自分の」道を歩いてきたといえるからね。やらなかったこと、できなかったこと、もろもろ含めつつ、今の自分が一番好きなのだ。えへへ。
若いころよりずっと自由だし、「戻りたい」なんか金輪際思わない。若いときが一番いいと思いこんでいる若者が、かわいそうなぐらいだ。そこはまだ狭いよ、もっと広いところがあるよ。


んーー。子供もたちの問題がとか、ワカモノがどうだとかいつの時代も言われているが。
「おじさん」「おばさん」がよくない言葉である社会は不健康だと最近思う。「大人」っていうのは「決まりきったことに順応する」とか「説教する」っていう意味じゃないのだ。「私はこう生きた(生きている)」といえることなのだ。


成人がちゃんと「おじさん」じゃないから、成人式で酒飲んで暴れるような輩が出るんだしさ。あんたらもうおじさんなんだから。と言ってやりましょう。


かっこいいおばさん街道まっしぐら。