観た!

観客。

橋を渡ったら泣け:土田英夫作・生瀬勝久演出


当代の「名脇役」をそろえたキャスティング。それに惹かれてチケットを取ったが、そこはまちがいなかった。

場所はシアターコクーン
芝居が跳ねて、外に出るとき、後ろで若い男性とおぼしき声が連れに言っている声が聞こえた。
「オチがだめだったな。見所は戸田恵子の声の張りと大倉孝二のキョドり方」

同行の友人とともに、まさに的確! とうなずきあってしまった。
いや、他の人も良かったんだってば、でもね、脚本が。ラストが。

あらすじはこちらの↓ページにあるけど、
http://www.bunkamura.co.jp/shokai/cocoon/lineup/07_hashi/index.html

まあ、土地が沈んじゃって、残った土地に少数の人が残っている。
助け合っているように見えるが、じつは以前に、力で支配しようとした者がいて、それを排除して成立した平和。
だが、排除した人間を「リーダー」としたとき、その人間がだんだん無意味な権力を振るうようになってくる。
一人、あとからやってきた人間がいる。争いが起きた場所から友人を捨てて逃げてきた男。彼は「リーダー」の専横を力によって鎮め、新しいリーダーとなる。
かつてのリーダーと腰ぎんちゃくだった人間、威張っていた側が今度は肩身の狭い側になり、抑圧されていた側が、新リーダーの下、彼らを抑圧する。

ここまでのストーリーで重要な役を追っているのが八嶋智人演じる人物。あまり頭がよくないらしく、「あなたの話はむずかしい」とか、「なぞなぞみたいだ」とか言っている。が、ぶれない。ぶれないということは他のメンバーからも言われている劇中の性格だが、戯曲の中で負っている位置も「ぶれない」だ。

しかし、彼が「ぶれない」ために、最初はリーダーの取り巻きという位置になってしまい、次は新リーダーの側になってしまい、やがて新リーダーから批判されるところに立つ。
彼自身の場所はほとんどぶれていないのに。

この辺りの描き方が、ちょっとすごい。
いじめでも、社会でも、国家でも、こういう構造の動き方するよね、という構図が、八嶋一人を軸に数人の役者で、一つの板の上で、きれいに渦を巻く。反転する。

そして、この後からやってきた男、新リーダーを大倉がやっている。
キョドり方がいいのは前半である。でかいのに善良で腰が低いやつ。
後半の大倉は怖くなる。

んで、まあ人が怪我をするような事件が起こり、ぶれない八嶋の指摘から大倉が我に返り、その場所を去る……。

ここで暗転する。
もしかしてココで終わるのかと思った。フランス映画みたいに、解決しない悲惨な人間たちの現実で。

だが、すぐに最後の場がはじまる。
人々の服装から、生活がよくなったことはすぐわかる。
みんなうまくやっているらしい。新しい人々がやってきて、それぞれが何か持ってくるものだから物資不足も解決され、言葉の通じない人々とも協力し合い、子供も生まれ……。
そして、大倉のものと思しき船が見えたところで終わる。


おいーーーーーーー!!!っ。
あそこで、八嶋を軸にした渦と反転のところで、あれだけがっつり「人間」の現実を見せたのに、終わりこれかいっ。
ラストないほうがまだよかった。
演出や演技ではどうにもできない部分だと思う(『ベニスの商人』のラストとは違うよ)。

高圧的リーダーになってしまったことに大倉が気づいて去る。
でも、彼は黙って去った。そういうリーダーになったのは彼に問題があったのじゃない。それ以外の人々の、(少人数だが)社会の意識に問題があったのだ。だから大倉が去ろうと、みんながそこに気づき、認識と行動を改めなければ、また新しいリーダーがでてきて、同じことを繰り返すだけだ。(現実に起きている「いじめ」みたいにね)。


描かなければならないのはそこだろう。
そこをどうやってやったんだよっっっ。ってことになっちゃうよね、あれだけ現実的な過程を見せられたら。
まして、言葉が通じないということは、価値観や習慣や宗教が違う人々が来ているわけでしょ? そう簡単にうまくやれるものかーーー!


それとも、深読みすべきなんですか?
「物が十分にあれば人々は争わない」←今の日本の現実からそんなこと言えない。
「これは夢にすぎない。現実は暗転前のままだ」←それにしてはわかりにくい。
「なんらかの努力をすればよくなる。みんながんばろう」←漠然としすぎじゃね?


ということです。
ホンがいまいちでした。
権力争いが男性間だけで起きているのも認識が甘い。まあ、「比喩」としてとらえればあれですが、戸田が演じたような人物が現実にいたら、ふつーに人望集めるでしょ、いくらメスでも。それに女に権力欲ないわけじゃねーぜ。そういうことをそぎ落として模式図化したというなら、最後まで図面をかいてほしかったっす。


役者については、戸田恵子はやはり頭一つ抜けてたね。声の通り方が尋常じゃないし、存在感あるし。

大倉孝二は、前半は不必要なぐらいおもしろかったが、後半は、ちょっともったいなかったなあ。彼、もっと怖くなれると思う。かなり凄み出してたけど。きちんと敬語使いながら、専横的になっている自分に気づかないままでいるあたり、もっとできるよ、大倉くん。
んーー、ちょっと年いっちゃうけど、この役、古田新太とかだと前半と後半の差が出たかも。でも、若くなくちゃいけない役だと思うし。

八嶋はよかった。同行の友人は、八嶋を舞台で観るのは初めてで、「テレビでおもしろいとは思ってたけど、あんなにうまいとは知らなかった!」と繰り返し言っていた。
そう。こないだの阿佐ヶ谷スパイダースでもある意味似た部分のある役柄――ちょっとはずれながら素朴なまでにぶれない軸があり、というのを演じさせると、うまい。基本大げさな演技なのに、ナチュラルな存在感。

六角精児のいいかげんな偉そうさ、手のひらを返したような卑屈さもよろしい。

でも(^^; 男優の役は、ぜんぶ生瀬ができる種類のものだったね。生瀬のほうがいいだろうっていうんじゃなくて。ちがう演出・配役だったとして、どこに入っていてもおかしくない。

奥菜恵は、ちょっとヘンなテンションの役で、ちゃんとウザかった。
戸田恵子は、原義の「役不足」だったな。もったいない。まあ、あきらかに度量がある人があのポジションにいるというリアリティとしてみてもいいけど。彼女もただのイイ人ですまない雰囲気持っているから、客はもっと期待しちゃうよね。
(↑後日、他の日に見に行っていた友人と話していて改めて思ったが……あれは「役不足」ではなくて「ミスキャスト」だったな。筋は通すけど結局ただの気のいいおばさん、という感じに見える役者がよかったわけだ。戸田はそう見えない(^^;)

他の人も、だから、役者はみんなここで期待される水準行ってたと思う。




ちなみに、劇中で八嶋が、「あなたの言うことはわからない」というときに使った表現が、友人とkomugiko00の間でヒット中。
「あなたの話はなぞなぞみたいだ。目が七つあって、ぴょんぴょん跳ねるものな〜んだ、みたいな」