観た!

観客。

壽初春大歌舞伎 夜の部


五代目坂東玉三郎の『金閣寺』と十八代目中村勘三郎『鏡獅子』。これ以上の新春はない。彼らが年齢という宿命においても、脂が乗って衰えない今の時期であることを考えると、こういう新春は2度はないかもしれない。



『廓三番叟』
これは縁起物。じいさんたちの華やかな姿が見られてうれしい。

雀右衛門富十郎は大好きである。ずいぶん前のことになるが、この二人による『二人椀久』は衝撃だった。それまで踊りは退屈だと思っていた歌舞伎ビギナーのkomugiko00が、一気に踊りのすごさに引き込まれた出し物だった。


祇園祭礼信仰記 金閣寺
玉三郎の雪姫は、もう当たり役でしょう。これ、雀右衛門もよかったけど。可憐さでは雀右衛門がまさるよね。玉三郎はどうしても一癖あるから。でもその一癖が最後の見せ場では生きるけど。
それ以前、ただひたすら可憐であるところ、最初に奥の部屋で柱に寄りかかって佇んでいる様子なども……「姿がいい」。
もちろんその姿を見せるのは演技力であるわけだが、それに加えて絶対的にカタチがいい。首が長いとか、そういうこと。きれいだ。このカタチは、精神や努力では得ることが不可能な、天賦としかいえない。
その上声がいい。きれいだ。よく通る。これは訓練もあるがやはり天賦。
百年に一度の逸材だと思った。
いや、百年間も歌舞伎見てませんけど(^^; これは二人出ないだろう。次に出るのは百年後だろうと思わせる。


かつて若き玉三郎は「私のは時分の花だ」と言ったそうだ。ずいぶん長い時分だね(^^;
まあ、ものすごくじっくり見れば、ちょっとだけ昔よりはたるんでいる。天賦的カタチが。それでもまだ、これだけきれいなカタチはなく、しかも……。

歌舞伎役者が年齢が行っても娘役をするのは珍しくない。
ただ、玉三郎が、歌右衛門の死後、「まま炊き」をやったのを見て、その深みのある演技への驚きが大きかったのだ。
なんていうか、大人の役者になったなあというか……歌右衛門がよぼよぼになりながらも舞台に出ていたのは、大御所だから出してもらえているという歌舞伎界の風習だったかもしれないが、こう、ここ一番のときの存在感や凄みが、やはりさすがだったのだ。
あのときの玉三郎は、歌右衛門の抜けた穴をしっかり埋めたと思った(歌右衛門が死んでやっとやらせてもらえた、という情報通の話もあるが、komugiko00はそういうことは聞き流す)。


で、その印象があまりにも強く残っているので、かわいいお姫様などを若々しく、高い声で演っていると、彼が若返ったかのような不思議な気がした。


またしても、いいものを見せてもらいました。
あ、幸四郎吉右衛門もよかったし、最後にちょいと出る東蔵も答えられなかったが、とりあず今回は玉ちゃんに絞って書かせてもらいました。



『新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子』
勘三郎またうまくなった? それともkomugiko00が成長したの? と思うぐらい、前段からよかった。
……それもあったかもしれないが、よく考えたら、今回席がよかったのだ。
奮発して一等である。しかも、10列目ぐらいのかなり真ん中という、komugiko00的に一番「いい」と思っているあたりがとれた。
毎月見ているころはもちろん三等で見ていたし、三等には三等ならではの天井桟敷的良さがあってすきなのだが、一等はやはりいいわ(^^;
どこがいいって、音がいい。
芝居であれば役者の声がダイレクトに通って聞こえるし、鏡獅子のような踊りであれば華やかな義太夫連中が立体的に楽しめる。
その音の良さが、踊りの良さをいっそうに引き立てたのではないかな。
大人計画勘三郎が出たときに、観ながらものすごくもどかしい気がしたのは、その「音」が奪われていたからだ。義太夫・ツケ・大向こうさんの声。それらが芝居をあれほどまでに生かしているものだとは、そのとき初めて理解しました、はい。


玉ちゃんを見ちゃったあとで勘三郎の娘姿、カタチとしては、顔はきれいだけど首の太いずんぐりむっくりである。いや、伝統的に言えばこっちのほうが顔がでかくて理想的な役者体型なんだけど。
しかし、踊りは名手だからねえ。komugiko00は彼が手を伸ばすだけで、うおおって思うからね。

こなれた小姓弥生を楽しむ。獅子頭が動き出す辺りは、わかっちゃいるけど、鮮やかなものである……けど、記憶ではもっと……たぶん最初に見たときの驚きが脳にプリントされてでかくなっているのかも。


弥生がひっこんだあと、二人の子役もなかなかうまかった。
そしてここでは音が堪能できる。
一人の唄と一本の笛が、つかずはなれず不思議なからみをするところ。一人一人の声と歌い回しを順に聞かせるところ。鳴り物と唄が一斉に音を出すところ。緩急。
二人の子供が引っ込んだ後こそ、その緩急が客を引き込み、獅子の精が出るべくして出てくる「世界」を作るのだ。


そして、出た!
かっけー、勘三郎かっけー!! あまりのかっこよさに、またしても涙が出そうになったよ(ま、「そうになった」だけだけどね、今回は。ということは彼にはまだウエがあるということ)。
あまりにもキレよく、しかし同時にどっしりと重い。二羽の胡蝶(二人の子供)とのからみなど、獅子の勇壮さが良く出てくる。
勘三郎の技量もだが、よくできてるよなあ、この踊りの展開、見せ方。
そして見せ場の毛振りだが……。
んーーーーーーーー、微妙にだが、若いころと振り方が違っているね。技術的向上なのか、さすがに体力の都合だかはわからないけど。
でもちゃんと30回以上まわした(まあ、それぐらいはしないとだけど)。


獅子が寝入るところですかさず、「当代随一!」と声がかかったけど、まさにそうだ。
そして、「稀代の」名優であると思う。
玉ちゃんが百年に一度なんだから、勘三郎にもそう言ってやりたいところだが、それがいえないのは、六代目尾上菊五郎がいるからである。
komugiko00は六代目を知らない。白黒のコマ抜きの映像で見たことがあるだけだ。ああ、それから、平櫛田中のまさに鏡獅子の彫像。
だから、評価することも比べることもできない。
最近スポーツ好きの友人が、往年の名選手と今の名選手が戦ったら、ということを考えると楽しいがくらべるのはむりだし……的なことを言っていたが、まさにその心境である。
六代目は当代勘三郎の祖父である。
……百年に一度の逸材が、この血脈では二人出た、というべきか。



『処女翫浮名横櫛』
もう十分満足したので、帰っちゃおうかな、とkomugiko00思ったのだが、歌舞伎座ひさしぶりだし、せっかく高い席買ったし、観ていこう、と思って最後まで見た。
でも、帰っちゃおうかな、と思った人は多かったらしく、客席はかなり空きが目立った。komgiko00の前なんて、途中で出た人も含めて最後は3列も無人になって、むちゃくちゃ見やすかったよ。


でもなあ、切られお富をやって帰られちゃうのは、女形としてはさびしいよなあ、とか思って観ていたが。
途中で、帰ればよかった(^^;;;;と思った。
福助にうらみはないけど、彼は昔っから声が悪いのだ。かわいらしい役のときのキンキンはまだ我慢できるとして、悪婆の少しハスキーに聞かせるところが、半端なカエル声で、お笑いになってしまっている。
んーーーーーーー、玉三郎がこういうのうまいんだよなと、つい思ってしまうよ。
それに、カタチがいいのに色気がない。
これは色気が命の役じゃないっすかああ?
切り刻まれるMシーンも、すっかりすれっからしになったところも、色気で見せるのがお富さんでしょーーー。
色気ねえ(^^; 声カエル(^^;
ただのガサツな女っていうか……。
彼の、声は致命的だが、この色気の無さは活かせる役も他にあるので……そのとき見ればよかった(^^;;;;;;;;;;;;;;;


あ! 歌六がよかった。



ともあれ久々の歌舞伎見物は大満足。

演目と配役を残しておく。











一、廓三番叟(くるわさんばそう)
          傾城千歳太夫  雀右衛門
            番新梅里  魁 春
           新造松ヶ枝  孝太郎
            新造春菊  芝 雀
           太鼓持藤中  富十郎


二、祇園祭礼信仰記 金閣寺(きんかくじ)
            松永大膳  幸四郎
              雪姫  玉三郎
      十河軍平実は佐藤正清  左團次
           松永鬼藤太  彌十郎
            山下主水  桂 三
            内海三郎  吉之助
            戸田隼人  種太郎
            春川左近  由次郎
            慶寿院尼  東 蔵
          狩野之介直信  梅 玉
            此下東吉  吉右衛門


三、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
    小姓弥生 後に 獅子の精  勘三郎
            胡蝶の精  宗 生
               同  鶴 松
           老女飛鳥井  歌 江
             局吉野  歌女之丞
         用人関口十太夫  猿 弥
        家老渋井五左衛門  芦 燕



四、処女翫浮名横櫛 切られお富(きられおとみ)
              お富  福 助
           井筒与三郎  橋之助
           穂積幸十郎  信二郎
          赤間女房お滝  高麗蔵
           蝙蝠の安蔵  彌十郎
          赤間源左衛門  歌 六