観た!

観客。

してみむとてするなり


shinbashiのそそのかすに、擬古文にて日記(にき)ものさむと思ふ。
事の始めは忘れつ。我そのかみ伊勢物語をまねびて物語書きしことあり。そをshinbashiの思ひ出でてなにやら言ひたりしやうな。


伊勢物語書きしをり、我思ひつるは、言の葉・文法を平安の世のごとくせむことは、難(かた)からず。されどかの世の人のごとくにはえ思はず。千年の時を隔て、明治維新をも越えて、「発想」こそ違ひたれ。
されば明治の人のごとく、近代の発想と論理にて、いにしへの文法にてものす「擬古文」なればまねぶをえん。


そをshinbashiの思ひ出でて、「試せよ」と言ふに、試す。
されど我明治の文に親しみし日は既に遠く、ちかごろはテレビお笑ひにのみうち興じて、「ありえねー」「ちげーよ」などを我が語彙と為しをれば、明治の文やら平安の言葉やら、合ひ混じりて判らず。

ま、とりあへずやってみるナリよ。

始めの一葉としてこれを認む(したたむ)。