観た!

観客。

人間椅子ライブ『電気仕掛けの怪』

2006.7.1. On Air West


 ひさびさに、どうしようかと思うぐらい満足したライブであった。

 開演10分前に当日券ですべりこむ。ま、ありがちなパターン。
 すでにいっぱいになっている人の間を縫って、ほぼいつもの位置に収まる。んー、いつもよりだいぶ端っこかな。

 その頃掛かっていた曲は、あれ? サイモン&ガーファンクルの『アメリカ』のカバーだ。へえ、こんなのあるんだ。そのあとに聞き覚えのありすぎるキーボードのイントロ。DEEP PURPLE "LAZY"。
 なーんてうちにステージにライトが点き、客が一斉にそちらに注意を向け……っていうか、あきらかに全体が前に向かって移動し、メンバーがでてきて歓声が上がり、そして……
あ! あ?! この曲ですか!? いきなりこれですか?!
狂喜乱舞っ(精神的に)。前のほうの人々は物理的にも狂喜乱舞し、比較的おとなしめの地層に位置するkomugikoの周りでも「これか」というような声が上がる。
人間失格
 うれしすぎる。
 しかし曲を知っている人はだれしも想像できる通り、「狂喜乱舞」できるのは、最初のほんの少しである。あとはあのエンエンと続く中間部に突入。ここで、狂喜した客たちはみんな静かにたたずんで、うっとりと演奏に耳を傾けている。
 椅子の客だなあ。
 一曲目からこの風景だよ。


 先日の『メタルマクベス』で、「ヘビメタ心をくすぐるが、演劇用の適度な音量の、うまくてかっこよくて、ベース控えめな気がするサウンド」のおかげで、そそられながら欲求不満になっていたのだなあ。

 解消。雲散霧消。
 バスドラが胸板にぶち当たり、肋骨がベースで振動する。
 これだよ。

そういう条件もあって、とにかく鈴木のベースが聴きたかったんだと思う。最初ひたすらベースばっかり聴いていた。
 そして、ふと思う。あれ? なんかずっとベースが目立ってるな、さっきから。気づくと、ギターソロやってる……。あ(^^; ごめん、和嶋君。耳が完全にギターシカトしてベースだけ選んでました。ドラムは、ベースと込みでいちおう聞こえてたけど……。
 いや、和嶋が調子悪かったわけではない。聴き始めたら、もちろんすごくいいソロだった。
 もともとkomugikoが鈴木ベースの「音色」にフェティッシュな執着を持っているところに、ちょっとベースに飢えてたもんで。たんにそういう条件です。
 しかし、和嶋が「ギターソロが長い曲ばっかり続く」と言っていたが、ま、そういうのって、ベース聴くのにもいい曲なんだね、って実感しました。

 と、三曲ぐらい「ベースばっかり聴く」状態をやって、乾いた大地に水が行き届いたところで、まっとうにライブ鑑賞開始。

 しかしあれだな。鈴木のベースって、「横丁の激辛カレー」みたいかも。
 やたら辛い。世界レベルで辛い。しかもたぶん唐辛子だけ大量に入れたような、単純な辛さ。おいしいのかと聞かれると、YESと言っていいのかどうか、ちょっと迷う。でも、一度はまると、他のカレーでは物足りなくなる。まろやかな高級カレーなんか食べちゃうと、「これが鈴木食堂なら……」とか思っちゃう。そしてどうしてもどうしても、あの激辛が食べたくなる。味わえるのはオヤジが店を開く年に数日のことだけだ。レトルトパックも発売しているが、それでも味わえるが、店で出すものとは段違いなのだ。だから、ついつい行ってしまう。

 あのバキバキの音の固さ。フェチ。

 で、ともかく、往年の名作『人間失格』というサプライズで幕開けしたあと最新の名作『二十一世紀の瘋痴狂』にきて、そのあと『蟲』。ぐおおお。たまらん、この並び。にくい。
 たしかこの三曲が立て続けだったと思う。三曲とも好きだ。

 そして、その後まったりしたMC。
「今日はお足元の悪い中……」*1と、ちょっと半笑いで言う鈴木。客も笑う。
 そう、雨のライブではいつも言っていたせりふだが、ネットで、「天気が悪いから研ちゃんはきっと言う」という書き込みがあったんだよね。見てるな?
 

 さて、それから『屋根裏のねぷた祭』。もちろんその前には鈴木が8月のねぷた祭の話をする。ちょっと津軽弁が入る。
 これは曲は好きなのだが、アルバムで聴くときは、見え見えの歌詞と、鈴木の歌い方が聴くときの気分によってはちょっとしつこくてヤだと感じることがあり、そこをがまんしている(鈴木の「口縦開き」の歌い方が好き)。ライブではヴォーカルより演奏のほうが際立つし、歌詞は聴く気にならなければ聞こえないので、そのへんも好き(^^; でも、ちょっと鈴木のヴォーカル苦しいか?

 その後(あ、曲順どおりかいてないです。とばしたり前後したりするかも)、『山椒魚』よし。新譜『瘋痴狂』で好きな2曲両方やってくれた。これをブルースでやるコンセプトそのものがすきなんだよね。

 そして……うわあ、『芋虫』だっ。これも曲は物凄く好きだが、アルバムでは鈴木の歌い方がいやらしすぎて(エロという意味ではない。臭すぎ)、ちょっと耐えられないある。あ、最後の転調のところは「口縦開き」歌いになるので普通に好きだが。というわけで、これもライブならものすごくうれしい。曲の美しさ、ベースやギターの「楽器としての音」の美しさが際立っている。このためだけにでも今日来てよかったと思える名演。ベースの響きはもちろんアルバムとは段違いだし、和嶋のギターも、アルバムよりも音に厚みが出る分、表情が深まる。
 終わって鈴木の第一声。「これ難易度高すぎ……! もう二度とやらない」
 まあ、そういわずにやってくれ。
 こういうの目当てに、椅子のライブに来る客もいるんであるから。

 『不惑の道』も、ライブで聴くと曲いいな。アルバムでは歌詞が恥ずかしすぎてだめだったが(^^;
 その年齢限定でしかライブでやらない曲の第一号『三十歳』の話をしていたが、komugiko00、それもライブで聴いてるんだよな。ん〜、あの『踊る一寸法師』のライブよかったよなあ……。って、もう10年以上椅子のライブに通ってるのか……。
 おかしな気がする。考えてみると10年以上観続けているのは、中村勘九郎勘三郎人間椅子だけだが、自分の中での位置づけが違う。彼らの「立場」の違いは当然として、こちらの「立ち位置」のせいもあるかな。
 オールスタンディングのライブでは、それぞれの定位置を持っている客が多いと思うが、komugiko00もそうである。ハコが少々変わっても、バンドの立ち位置も変わらず、バンドに対してのkomugiko00の立ち位置も変わらない。ずっと同じ位置でやり続けているバンドを、ずっと同じ位置から観てきているのだ。
 なんか、妙な思い入れが走馬灯のように(^^;
 そして、思った。わが人生の「パートナーは椅子でいいのか?!」
 ラーメンズ山海塾は、自信を持っていろいろな人に勧められる。もちろん人によって合わない人もいると思うが、「一度見ておいてソンはない」ものだと思う。でも、椅子はそうじゃないんだよね。ものすごく好きだけど、でもそれでさえ「がまんして」る部分があるわけだし(特にヴォーカル)、「完成度」から言ったら、その二つよりは低い。でも、この彼らのライブ空間に来ないでこの先生きるとも思えない。彼らがやっている限り。やれやれ。なんだこれ。

 んで、これをやるとは思わなかった、『サバス・スラッシュ・サバス 』、そのまま
本家BLACK SABBATHの"UNDER THE SUN"になだれ込む。
 ん。サバスはいいな。サバスをやる椅子もいいな。
 ちょっと複雑なのは、スラッシュに乗せて、客が「BLACK SABBATH!」と拳をふりあげるところ。いいんだけどさ、そもそもこの曲が愛情余ってとってもバカ、っていう曲だしそれは好きなんだけど。でも、そのコールのたびに、「サバスはスラッシュなんかやらねえよ」と言いたくなる自分もいる。作った鈴木はじめ、わかってる連中がバカになってやるのはいいんだけど、サバスを聞いたことないのに、あるいはとくに愛着無いのにこれやってる客もいるんだろうなと思うと、往年のサバスファンとしては、ちょっと意固地にもなるんさ。

 それから、和嶋がいきなり犯罪の話を始める。まあ、『黒い太陽』につなげるトークなんだけどさ。
「最近犯罪が多いが、そのニュースを見るたびに、被害者より犯罪者に思いいれしてしまう自分がいる」
 客、引く。komugiko00もちょっと驚いたぐらい引いた。和嶋がこの程度のこといったぐらいで引くなよ、椅子の客なら。文学や仏教かじった人間なら当然の視点じゃない? まあ、和嶋もそう思っていたのだろう、ちょっと不用意な言い方だったけどね。
「ほら、みんな引いちゃった」
と、鈴木もぜんぜんフォローしないし(^^;
 和嶋はあわてたのか、被害者の気持ちを大事にしなきゃいけないと空虚な言葉を大声で言っていたが、そういうことじゃないよね。
 どっちの側につく、ということじゃない。昨今事件でとりあげられている犯罪の加害者は、そこに至る闇の道を抱えている。だから許せとかいうことじゃない。そういう「短絡」じゃないんだ。その闇の道を、汲んでやることは、罪を軽んじることではない。むしろそれをやらないことの方が人間性が浅いと思う。闇を持っていない人間はいないのだから、棚に上がっていてはほんとうのことが見えない。被害者はまた致し方なく持つ強い感情はあるわけが、第3者はね。文学の役割はそれだと私は思っている。仏教はよく知らないが、きっとそういう面はあるだろう。
 和嶋はそういうことが言いたかったろうに、かわいそうに、彼の「ファン」たちと、そこでツーカーではなかったのだ。あの不用意に響く発言に対し、「和嶋ファン」は、「良識ある一般大衆」になることで自分を守った……のさ。
 私はわかるよ、和嶋君。

 てゆうか、乱歩だってそういう作家だったろう。なんかこう、たんにイメージ的妄想的エログロだけを求めて作品を読んで、生活的にはただの良識人です、っていうのは作家に対する裏切りに等しいとさえ思うよ。社会人として保つべき良識以外の視点を持ちえること、そうして視点を複数持てるようになっていくこと、これが作品を受け取ることの意味なのではないかいな。


 さて、曲の話だ。
 あの、太い腱をばしばしと断ち切っていくようなドラム。
 あの曲だ! と思う。
 ベースは、すぐにはあの展開は見せない。「あの」ドラムの上で、しばらく陰鬱に遊ぶ。あのガシガシの音で、でも意外とちまちましているっていうか、繊細な運びなのは、鈴木の性格そのものかな。そして、あの展開に入る。
 『相克の家』
 前回も聴けたが、この曲は好きだ。歌詞がものすごく好きだ。ライブで聴いても、いい。重さ・固さが際立つから。
 ちなみに、この曲で最低音のサイドヴォーカルを担当していた鈴木は、次の『孤立無援の思想』では、裏声のサイドヴォーカル担当。自称「1オクターブの男」なのに、ご苦労。年々声が荒れてきてしまっているのはあきらかなのに、今日はまた一段と出てない気がするのに、と思った。喉、大事にしろよ。

 ほんとうに調子が悪かったのかどうかわからないが、これが終わった時点で、鈴木は突然ナカジマノブを振り向いて、
「ノブ、ドラムソロやってくれない?」
 さっきベースソロをやったわけだから自然な流れではあるが、鈴木の表情もノブの表情も、「急」なことのように見えた。
 一瞬とまどった感じだったが、そこはハイテンション・ノブである。「やってみよう!」と引き受ける。そして「しゃべりながら叩く」という彼らしいパフォーマンス。足技なども見せた上で、「歌っちゃおうかな! おれはドラマーだからやっぱりこの曲!」と言って、「おいらはドラマ〜」と始める。『嵐を呼ぶ男』だが、ドラムそのものが裕ちゃんとは比較にならない激しさで、ちゃんと歌った上にセリフまで入れて、サスガ、である。

 このあと鈴木ヴォーカルの2曲。『恐怖!!ふじつぼ人間』『針の山』。針の山!! 狂喜乱舞。
 これで本舞台はシメ。

 アンコール一曲目は、鈴木が「これがきょうのメーンイベント」と言って、『品川心中 』。和嶋は二笑亭どぶろくと称して、落語をやる。座布団に座って(^^; 見えねーんだけど。まいっか。アルバムの落語のくだりは、聞かせるほどのもんじゃないだろ、と、じつはあまり好きではない。今回もそれほど巧くなってはいない。だからまあアンコールなんだろうな。文化祭みたいなもんだ。その中で、心中相手をいろいろ選ぶ中で、「太鼓持ちのノブ」と、「お坊さんの研ちゃん」が出てくる。「研ちゃんはお坊さんだから、お経を上げてもらえば安上がりで済むわ。でも、研ちゃんを道連れにしたら、檀家が怖いわね。檀家のご先祖にあの世で叱られてしまう」とか言う(これがあとで……)。
 ま、これも曲はいいよね。

 アンコール2曲目は『りんごの泪』、2度目のアンコールでは『ダイナマイト』。鈴木のスラッシュ第1作だったが、一連のスラッシュの中でこれだけはものすごく好きなので、最後にやってくれるとものすごくうれしかったっ。


 さて、最後のメンバー紹介のところだったが、こんなことが。

和嶋「ハードロック界一坊さんの恰好が似合う男……あ、鈴木研一のファンを『檀家』と呼ぶのはどうでしょう」
鈴木「聖鬼魔IIは『信者』だったみたいに……」
和嶋「あ、それなら、人間椅子は仏教的な歌詞も多いから、人間椅子のファンを『檀家』と呼ぶことにしましょう!」

 二人ともかなり気に入ったようで、この日からそういうことになったようだ。
和嶋「今日からあらたな伝説が生まれた。檀家伝説!」
 その場に立ち会ってしまったわ。

 ん。「檀家」は悪くない。
 気難しいkomugiko00としては、「信者」は嫌なのだ。べつにやつらをあがめる気はない、遊びでも。「檀家」なら、ご本尊は別にいて、バンドは和尚と寺男たちなわけだ。それはいい距離感。
 え、ご本尊? ご本尊は、ハードロック菩薩か、でなければ「仏は人の成りたるなり」でしょう。

 めでたしめでたし。



人間失格

人間失格

瘋痴狂

瘋痴狂

Black Sabbath, Vol.4

Black Sabbath, Vol.4

*1:komugikoには、「はまった」「発売媒体全部持ってる」「ライブにはかならずいく」アーティストが二組いる。人間椅子ラーメンズだ。どちらにもファンが期待するキーワードがあって、それが「今日はお足元の悪い中……」だ。ま、先に言っていたのは人間椅子(デビュー早いし)。これは、異様ないでたちの鈴木が、あのまったりした丁寧語のMCで古風に言うのがいいところである。もちろん雨の日に言う。ラーメンズは降っていない日にも言う。てか片桐が言いたがる。椅子ほど定番ではないと思うけど。
 この二組は、いずれもkomugikoの「はまった」度合いでは双璧なのだが(中村勘三郎は「はまった」とかいうのとは別次元)、どうも同時にははまれない。先に人間椅子にはまっていて、あるときラーメンズにはまって毎日DVDを見ていた頃は、人間椅子を聴く気がしなくなった。ラーメンズにはまる期間が長かったので、もう二度と人間椅子を聴くことは無いんじゃないかと思ったぐらいだ。ラーメンズ症候群が落ち着いた頃、また椅子を聴くようになった。ちなみに、このころお笑い系ではバナナマンにはまっていた。ここは両立できるらしい。