観た!

観客。

公暁の銀杏

倒れた〜〜〜〜〜〜。
鶴岡八幡宮の大銀杏である。


ごく幼いころ、うちの茶の間で和服姿の祖母から、実朝と公暁の話を聞いたのが最初だと思う。
いつもの茶の間に座っているのに、そこは暗い夜になり、大きな銀杏がそびえ、影に潜む者の鼓動を共有しつつ、同時に、実朝に来ちゃだめ! と思いつつ……今思うと、祖母の語りがうまかったのかもしれない。


東京の子なので、鎌倉は休日にちょっと遠出して遊びに行く距離だった。
赤ん坊のころも親に連れられて行ったらしいが、それは除いて物心ついた後に初めて行ったのは、小学校4年生ぐらいだったと思う。

このときはもう祖母の話を聞いていたから、鶴岡八幡宮は絶対行きたい場所だった。
そして行った。
大銀杏の現物を見てはしゃぎ、陰に隠れようとし、祖母から聞いた話を、「こうだったんだよね」と、それぐらい当然知っている両親に語って聞かせた……という記憶はある。

その後も何度も行ったはずだ。大銀杏も見たはずだ。


でも、今日倒れた映像を見て、「あ〜、これだったんだ」と、初めて見るような気がした。
それはもちろん倒れた姿だからかもしれない。しかし、あらためて、最初に茶の間にそびえた、闇でその全容は見えなかった「おおいちょう」が、自分にとっての「公暁の銀杏」だったのだと思う。


それでも、あの公暁の銀杏が倒れたのだと思うと、なんともいえない喪失感が。


そりゃあ木は倒れるさ。うつろうのが世界だし、ゆく川の流れはたえずして、さ。わりとそういう世界観なのだけど。


これからあと、わくわくした子が鶴岡八幡宮に行っても、「これが公暁の銀杏なんだ!」と興奮することはないんだな、というヘンな喪失感。
近所の人や鎌倉好きの人たちが持つであろうリアルな喪失感とはちょっと違うけど。


このニュースを見て、じつに何十年ぶりに、長く忘れていた闇の銀杏が、今夜はわが高層住宅にそびえている。





根元から芽が出ちゃったりするんだろうか?