観た!

観客。

『ガリレオ』


月9である。shinbashiが必ず見るやつである。
今回は、原作の東野圭吾・主演の福山雅治ともにshinbashiの「大好き」である。んでつられて見た。


をを、これは、komugiko00のむちゃくちゃ好みのタイプである。そうか、これがあるから旭化成の科学バラエティ(?)やってたのか、福山。
komugiko00は中学・高校と理数系「苦手」と思い込んで過ごしてしまったが、成人後それらに関心と愛着を持つようになった。かといって、ちゃんと学びなおしたわけではないので、なんとなく、ではあるのだが。
そういう現在から振り返って、komugiko00は必ずしも科学な思考のできない子供ではなかった。ただ、現在に至るまで「数字」がすごく苦手なだけだ。そういう子が科学の思考をのばさないまま「理数系が苦手」と思い込んで人生を送っている数は、この日本にどれほどいるだろう。

このドラマは、そういう、本当は科学好きな「文系」の人たちに楽しみを与えてくれると思う。


このタイトルには、ちょっと思い入れがある。
komugiko00は小学校2年のときにガリレオ・ガリレイの伝記を読んだ。読み終わったあと、母親とこんな会話をした。

ko「今の人は地動説を知ってるけど、それはそうだって言われたから地動説だって思っているだけで、それは天動説を信じてた人たちと変わらないんじゃないの?」
母「ちがうわよ。今は天体写真もあるし」
ko「でもそれは、昔の人だって、教会に絵があるって思ってたんでしょ? それと同じじゃない?」
母「ちがうわよ、写真は本物なんだから」


まあ、違うことは違う。
でも、komugiko00はこのときの7歳児の言っていることにうなずく。
地動説そのものに疑念を挟んでいるわけではない。ガリレオの時代に地動説をとった人と、現在地動説をとる人の数は大違いだ。だが、地動説を「理解」している人の数の差は、そこまでは開いていないのではないか、ということだ。ガリレオの伝記を読んで、または理科の教科書で地球が動いていることを「知って」いた7歳の彼女は、「どうしてそういえるのか」をまったく理解していない自分を感じていた。周囲の人たちも「知って」はいるが「理解」しているようには見えなかったのだ。
過去から現在まで、その事実を知っている、理解している、「見える」人たちはいる。観察なり計算なりによって。だけど大多数の人は「地球が太陽の周りを回っているんですよ」といわれ、教科書の図を見せられて「そうか」と思っているだけである。そこで科学的な観察も分析も論証もない。
まあ、これだからスーパーから納豆が消える日があったりするのかもしれないが。


komugiko00にしても、あの疑問を口にした7歳の日に、「じゃあ星の観察してみよう」と言ったり、星の運行について「理解した」示唆ができる人が身近にいたらちがったのかもしれないと思う。残念ながらそういう人はいなかった。当時の小学校の担任は理系の出身だったというからもしかしたら地動説を「理解」していたかもしれないが、ストレートに宇宙のことを質問しているわけではないこの疑問の持ち方には、対応できたタイプに思えない。


shinbashiは高校時代天文部だったので、以前聞いてみたことがある。「地球が太陽の周りを回っているんだって、論証できる? もしくは論証を自分の頭で理解できる?」答えは、「できるんじゃない?」だった。
その後、「天動説だって、全面的にまちがっているわけじゃない。計算の起点をどこに置くかがで、地動説にしたほうがすっきり説明できるだけだ」とか言った。んーー、このせりふは数年前のものをキオクで書いているので正確性に欠ける(あとでそんなこと言ってないといわれたら訂正します(^^;)。
でも、こういわれただけで、komugiko00の頭に宇宙が広がり星々が運行し始める。


話がそれた。ドラマはもっと具体である。エンタテイメントである。しかしそこには、観察と分析と実験と論証がある。なにげに。
楽しみに見よっと。


探偵ガリレオ (文春文庫)

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