観た!

観客。

ふるさと納税(キモチの話)


賛否や是非は言いません。



テレビの番組を見ていたら、東京在住者への「ふるさと納税への賛否のアンケート」の数字を紹介していました。東京在住の、地方出身者では賛成が30%、東京出身者では15%でした。
アナウンサーは言いました。
「ここから、地方出身者のほうがふるさとへの思いが強いことがわかります」


……あのう、言いたい意味はわかるんですが……。
「東京」は私たちの「ふるさと」なんです。自分のふるさとへの思いもあるんです。
そこだけ、わかってもらえますか? 


komugiko00のふるさとは東京都杉並区である。
自分のふるさとはたいへんたいへん愛している。
その愛するふるさとでは、人間椅子の研ちゃんが長年郵便を配達してくれている。研ちゃんは長いこと私のふるさとに住んでいる。これはちょっとうれしいし、ちょっと誇らしい。何が? といわれても困るが。ちょっとだけど、うれしい。
研ちゃんが自分のふるさとをどれだけ思っているかはよく知っている。おかげでkomugiko00は「アオモリ」とか「ヒロサキ」とか「ツガル」とかいう単語に敏感である。アオモリ出身者に会うと、関係ないのにうれしい気がしたりする。
その程度の思いは、研ちゃんもスギナミに対して持っていてくれるといいなと思う。長く住んでいてくれるのだから。


某有名県知事が、ふるさとへの思い、という感情論でこの経済政策を説得しようとしていたから、東京者にも感情は在るんだよ、ということも言わせてね。
地方出身の東京在住者が、自分のふるさとに納税したいとしよう。その「思い」は理解する。
ただね、現に住んでいる場所への愛情も、同時に表現してくれる? くらべたらふるさとの方が大事です、っていうならそれでもいいから。
東京を愛せないなら東京に住まないででほしい。
東京をふるさととする人間ならそう思うよ。感情論として。なんの強制力もないし、東京者ほど自分のふるさとについて排他的でない受容性を持ったものはいないとも思うのだが(他郷者で満ちているのが私たちのふるさとの特徴なので)。
キモチとして、あたしのふるさとを好きになってよ。嫌いならいないでよ、とは思うじゃん?


「東京」を単に「大都市」機能としてとらえ、愛さなくていい土地みたいな扱いはしないでくれる?→メディアとか
まあ、「ふるさと納税」の発想自体が、住む人の主観ではなく金額を基準にしているものなのだから、それはしょうがないけど。
でも「ふるさとに納税する」ことを主観的に訴えていくときに、大都市もだれかにとってはふるさとなんだってこと、無視しないでくれるかなあ?→こないだまで東京に住んでいた某知事。



komugiko00は、郷土愛と愛国心のカタマリです。



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さて、議論はしないといったが、ちょっと思うことはあるので書いとく。
客観的に見て、「ふるさと納税」は税制の基本をはずしている。もっと根本的な経済政策が必要でしょ? とは思う。
そういう意味ではこの制度は筋が違うし、本質的な解決策にはならないと思う。
やるならいっそ……。
行政的現実性はさておいて、一つの思考の過程の発想として、「好きなとこ納税」という切り口はありなんじゃないだろうか。
みんなが好きなところに納税するのである。
東京都出身&在住のkomugiko00が人間椅子の聖地青森県弘前市に納税するのも可能。いまさら山本恭司にはまった記念に今年は島根県松江市に納税しとくわ、ってのも可能。
もしかすると夕張にたくさん税金が集まっちゃったりするかもしれない。
いっそそうしてみれば? 
まあ、動きが読めないのが行政的現実性がないところだが、「全員が選択する権利を持つ」ということは、考える価値があるんじゃない? これにかぎらず、あらゆる行政・法律において。