観た!

観客。

相撲「八百長」とか


相撲に「八百長」は基本的にはないと思う。
「わかってるよね?」的なことはあることはみんな知ってる。それコミで相撲である。お金が動いていたとしても、それはそれかなと思う。


ちなみにkomugiko00はわりと相撲が好きである。中学のときは場所中は4時からずっと見てた。その後、番付の高いほうだけ見たりスポーツニュースで済ませるようになってしまったが、ワカイころに一生懸命見たものは、愛着も、それなりの「見る目」もできるもので、たまに見てもおもしろみはある。


komugiko00的には、相撲は「スポーツ」ではないのである。だからあえて「雑」に分類しました。ヨーロッパ型の「スポーツ」の概念とはそもそも違うのが相撲の世界である。だいぶ影響されつつ、ちがう文化圏のものだ。
柔道や空手はその国際的競技性から、すっかり欧風「スポーツ」になったけれども。
相撲の魅力の一つは、洗練された格闘技でありつつ、西欧的合理で整理された「スポーツ」になりきらない「文化」であるところである。
土俵にたとえ文部大臣でもメスはあがらせない、なんて非合理もここではまかりとおるのは、そうした整合性からは治外法権にあるからである。相撲全体が、その網でできているわけだ。(ヨーロッパ公演のとき、ドイツでだったかな? 半裸の女を土俵に上げていたが、あれはパツキンの毛唐だし、本場所じゃないし、治外法権の体系では数に入らないからいいの)。


だから、八百長どうのというのは、「無粋」というものだ。
というのがkomugiko00の基本的な発想だ。
歌舞伎に女を出せとか、世襲制はおかしいとかいうのと同様に、発想体系の違いを理解しない無粋である。


だったんだけど、この記事を書いた人が話しているのをちょっと聞いて、またちょっと考えが変わった。
彼の指摘は、上位陣にいる外国人力士間でこれが行われていることが問題だというものだった。そしてさらに上位が外国人に占められ、彼らが国に帰ってしまったら日本相撲界に何が残るのかが心配だと。
外国人力士がわるいわけじゃないけど、と。
んーーーーーーーーーーーーー。
それを問題視することがもう一つわからない。
たとえば東西の支度部屋を行き来する者がいるとか、仕度部屋の態度がだらしがないとか、そういうことは相撲の文法である様式美に反するから、そこそのものを指摘・改善すればいいことだし。
ガイジン同士がつるんでる、っていうのはつまり日本人がはじいてるっていうのと表裏一体だし(いつでもどこでもそういう構造でしょ、これは)。


ま、これで何か結論を出すのが目的じゃなくて、揺さぶりをかけて自浄作用をうながしたのだ、というのならば、それもそれかな。


でもkomguko00は、「日本人の横綱がほしい」という意見にはべつに共感しないんだよね(あ、これはこのライターが言ったんじゃなくてときどき耳にする言葉)。
いい相撲が見られて、「潔い横綱」にいてほしいと思うだけである。