観た!

観客。

地味に好きな曲

……というのもある。
人間椅子には大曲・名曲・人気曲がある。
komugiko00個人の好みに絞っても、「好きな曲は?」とか、「入門に勧めたい曲は?」ときかれて、最初の3〜5曲に出てくる曲がある(10曲ぐらいはつるつる出てしまう)。
陰獣・あやかしの鼓・桜の森の満開の下・『黄金の夜明け』はアルバム丸ごとで・なまけものの人生・踊る一寸法師……などなど。


こういうときにまずあげたことがないのに、「好き」でいえばとても好きな曲というのがある。
たとえば、


『月に彷徨う』だ。


椅子の曲として、凝ったつくりではないし、テイストはむしろシンプル。
あの、ミドルテンポを埋め尽くさない「スカスカの音」がたまらなく好きである(ドラムは意識して聴きなおすと、毎度意外と手数多いと思うんだよね。でも、うるさくない)。
とても「懐かしい」感じがする。

まあ、椅子の音はある意味物理的に(?)懐かしい部分もある。昔の洋楽ロックを――shinbashiに言わせれば「パロディだ」というほど――彷彿とさせるから。本人たち確信犯だし。
でも、komugiko00は「本ネタ」がわかっても、あまり「あれだ」とか思ったりしない。それも含めて、もう椅子の曲になっちゃってると思うし、この「懐かしさ」はフレーズがどうこういう質のものではないから。だからこの数行余談。


さて。

曲調自体がなんだか緩い意識の流れの中にいるような気がする。そこで歌詞が、無意識の記憶(もしくは前世の記憶的な?)ことを言ってくるわけだから、意識や記憶や時間を惑う・たゆたう感覚になる。これの作詞は作曲者鈴木である。鈴木の歌詞についてはなんのかんの言っているkomugiko00であるが、好きな歌詞&わりと受け入れられる歌詞もあるわけだが、これは、わりと受け入れられる歌詞。
彼の特質であるざっくりとした肌理の粗さ、野太さがいまいちな部分もありつつ、それが生きているところもある。「まるいお月様語りだす」「赤いお月様泣いている」のあたりである。んー、歌詞だけ書いてもなんだが、この古いざっくり感が曲とヴォーカルとあってるんだよなあ。
人気のない村と、赤い大きな月と、そこに佇つぬおーとした人影(鈴木だろうな)……が目に浮かんでしまうのだ。

京極夏彦の小説にも、こんなシチュエーションのあったよね。まさしく。でも、京極の細やかな周到さにはない巧まぬ土の味がこの曲にはある。言葉にもだけど音にね。素直なスマート。


音でいえば、実はもうあの最初のベースの「音」と「間」だけでこの曲は「好き」なんじゃないかと思う(カンタンなやつ)。でもそこに乗っかってくるギターもいいんだけどね。月みたいにさらりとだるい。

というわけで、これは、「地味に好きな曲」の筆頭であり、「勧めたことないけど繰り返し聴いている曲」なのである。


ライブで聴きたいなあ。


修羅囃子

修羅囃子