観た!

観客。

開放弦

                           2006.7.19 於パルコ劇場


ミーハーな動機で買ったチケット、ミーハーだけは満たされた。

え? 大倉孝二が見たかったの。それがミーハー。
水野美紀もこないだの阿佐ヶ谷スパイダースでよかったし。犬山イヌコは間違いないし、ともかく役者はみんな魅力的だったの。

だからよかったの。
なんと最前列中央ブロックの席。ふつうなら「前すぎる」というところだけど、ミーハーが目的の場合は願ったり。パルコ劇場は舞台が高くないし、距離も適度だからなおさら。大倉が目の前で転んでくれたし。鴨蹴ってくれたし。
ミー、ハー。

内容は、もしかしてkomugiko00向きじゃないかも、と思っていたら、やっぱり向きじゃなかった。
ま、往年の少女漫画さ。
komugiko00もshinbashiも少女漫画は好きだが傾向が違う。これはどちらかというと、shinbashiの好きな系統だな。

構成はよくできていたと思う……って(^^;高校演劇の審査員じゃないんだから(^^; 岸田戯曲賞作家にこんな言い方は無いだろうけど、伏線がどれも生きていて、最後に収束してほろりと来てエンド。
よくできている。なのさ。

水野美紀は、長塚が使ったのと通じるタイプの役。不器用そうで誠実そうでまじめそうで、でもちょっとエキセントリックっぽいところが意外とあってそれとあいまって無神経で……っていう。
目の前で京野ことみ犬山イヌコとならべると「でかい女」っていう感じだし、よかった。

そういう彼女だから、ラストのシーンも生きてるんだけどね。



ま、冷静に考えればそういうこと。
ただ、komugiko00、つまらないことが気になっちゃって。

あ、こっからはネタばれご注意。
コントじゃないんで、書いちゃうからね。



エレキギターを弾いていた男が、事故で右手が利かなくなる。ギターが弾けないと作曲もできない、弾きながら考えていたから。それはいい。
右手のかわりに、音楽にも楽器にも無知な妻をつかう。自分が左手でおさえて、妻にピックを持たせ、弦の順番だけ教えて、「3、2、全部」と指示して弾かせる。
まあ、夫婦の感情関係を象徴する感動的な場面である。
ただここで、つまんないこと思っちゃったんだよね。
左手動くなら、アルペジオなら一人でできるじゃん。ふつーに。
アコギでもできるけど、エレキならなおさら簡単。komugiko00でもできる。すごくうまいギタリストなら、コードだって……? それでなくてもコードは「弾」かなくても叩けばいいし、ど素人にいちいち指示してやるより自分の足使うなり口に何かくわえるなりしてやったほうが早い。肩にピック張ってやってみたって話もあったけど、それならまず口で弾かない?
ジェイソン・ベッカーは筋ジストロフィーが進行してからは、ギターでやってた展開をシンセでやってたし。
手だてはもっとある。

だし、音浮かんだなら、録音しない? 「ネット配信でバカ売れ」してる設定なんだよ。録音機器もってないことないし。バンドメンバーなら耳だけでわかってくれるだろうし。

創ることに執着するなら、そんなもんじゃないだろ、ギタリスト! と思ってしまった。

……この芝居のために、渡辺香津美が曲作ってるんだよね。
だとしたら、komugiko00みたいな市井の音痴なリスナーがつまらんリクツを言うことはないのかもしれない。

それに、遠山さん(そのギタリスト)は、そんなことわかってて、妻との「共同作業」がやりたくてわざと……感動できるか、そんな話で!(^^; いくらなんでもこんな解釈は作家に失礼であろうな。

ま、テーマは人間たちの感情関係であって、創造や生きがいにあるのではないからね。そのための悲しく美しいラストシーン=妻が言われたとおりに右手だけを弾きつづけ、弦を押さえる夫が死んだ今、開放弦だけでは音楽になっていないことにも気付かない、につなげるために作られたものなんだよね。

というわけで、それは忘れて。

大倉孝二、コケ方最高、焦り方最高、存在感あり!

そうそう、フジテレビの『西遊記』での老子の役を見ながらshinbashiが、「だんだん片桐に見えてきた」って言ったけど、今日もそう。軽い感じ、ちょっとおちゃめな感じの演技すると、片桐っぽい。野太いところは片桐じゃムリだけど。

ってことで、かえってすぐに感想簡単に書けちゃった〜。


※追記
あれ? でも、「進藤さん」が見かけたという「食いしん坊」はどうなったの?!