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無残の美〜友川かずき


たとえば。komugiko00はいまでも人間椅子のアルバムを買い続け、ライブに行き続けているが、一時期いっしょに盛り上がっていたのに、いまは椅子を離れてしまった人たちもいる。
でも、komugiko00にもそういうミュージシャンはいるのだ。それで「まだやってたんだ」とか言っちゃったりするのだ。
その一人のことを、ふとしたきっかけで思い出した。友川かずき。ジャンルはフォーク。LPを一枚だけ持っていたのだが、同じものをiturnsで手に入れて、もう何年ぶりだろう、聴いた。
やっぱり好きだった。
そうか。椅子を離れた人たちも、飽きたとか、見限ったとかじゃないんだな、と思った。komugiko00自身が、友川についてそういう気持ちになった自覚がない。
離れていた時期は、きっと自分がこの言葉や音を必要としていなかったときなのだ。
それとも、この時期にこの歌を聴き続けていたら、なにかが変わっていたかもしれない、とも思う。


友川かずきを初めて知ったのは、新聞の記事でだった。
たしか、福島泰樹が書いていたのじゃないかと思う。友川の紹介記事だったが、その冒頭にあった歌詞で、いきなり引き込まれた。
「その死は実に無残ではあったが、私はそれをきれいだと思った、ああさとる、今木蓮の花が空に突き刺さり、悲しい肉のように咲いているぞ」
自殺した弟への歌だ(さとる、というのが弟の名前。歌詞カードには漢字で書いてあったと思うが、今回未確認)。


当時、友川は福島の「中也断唱」のライブでコラボしていて、彼の歌を聴いたのは、そのライブが初めてだったと思う。
komugiko00は趣味がイモなので、福島の短歌は結構好きだったのだが、そのときはもう、友川に食われてましたね。まあ、福島は歌人で、友川は歌手だから、ステージの上ではそれで当然なのだが、「言葉」も、友川の方が、こう、「近く」にいたかな。


といっても、友川の「言葉」はそのとき完全にわかったわけではない。スローテンポのものはともかく、『無残の美』などは金切り声で早口でそのうえ訛っているので、聞き取れない。
友川は秋田の出身。発音が秋田訛りを残している……と思う。お酒を飲みながらMCをやるのだが、それもときどきわからない。一度、岩手出身者と山形出身者といっしょにライブに言ったことがあるのだが、二人とも、「あれは訛りすぎだ」と言っていた。東北といっても彼らの方言とも違うためか、それとも友川固有の発音なのか、やはり全部はわからなかったらしい。


そう、福島とのコラボで完全に友川にはまったので、それから何回か友川のライブに行った。
『無残の美』を「ギターの弦を切りながら」歌うと福島が書いていたが、それも見た。フォークギターを叩きつけるように弾きながら歌ううちに、1本2本と弦が切れていく。その足りなくなっていく音が、「亡くした」者の音なのだ。


このブログで、和嶋の歌詞について書いたが、それ以前に歌詞に引かれたミュージシャンがいたのだった。忘れていたなんて信じられないフィット感。
今の感覚では和嶋より「好き」かな。和嶋のほうが「近い」けど。


昔、shinbashiに聴かせたら、「なんてイモなんだ。こんなのが好きなセンスなんてしんじられない!」と言っていた。
まあ、フォークというジャンルで、二人の趣味が一致しているのは小室等だけなのだが、あの力の抜けた洒脱さとはまるで異質だ。神経質で、力みかえるのがせめて悟りであるようなイナカモノ。


切りつけるようなイモが好きな方には、おいしいかも。


……といっても、近作は知らないのだ。またライブに行くか。



無残の美(紙ジャケット仕様)

無残の美(紙ジャケット仕様)

ゴールデン☆ベスト

ゴールデン☆ベスト

中也断唱 (1983年)

中也断唱 (1983年)