観た!

観客。

松たか子きれい

松たか子については、komugko00、『メタルマクベス』で絶賛した。
そして、それをときどき思い返すにつけても、いい女優だなあと思う。同行の友人が繰り返し「やっぱり細いときれいだねえ」と言うので(^^; そのたびに思い出すわけである。でもねえ、「細い」娘子なんぞは舞台テレビにいくらでもいる。松たか子があれだけ「きれい」に見えたのは、その立ち姿と動きの切れ味のためである。たぶん、太ったって同じことができる、彼女は。


あの種の「格の違う動き」をする女優は、宝塚出身者で何度か見たことがある。鍛え方、それも低年齢からの、が「違う」のである。
また、歌舞伎役者もその種の「格の違う動き」をする。当代中村勘三郎のようなとびきりの名優はもちろんのこと、他の役者もだ。最近は見ないものの、月に2〜3回歌舞伎を見た時期があったkomugiko00にして、じつはこれを思い知らされたのは、野田秀樹演出の『研ぎ辰の討たれ』のときだった。
歌舞伎座で、歌舞伎役者を使って、しかし野田演出。ここに歌舞伎役者の力量が見えた。演目そのものは、木村錦花によるいわゆる「新作歌舞伎」で、大正時代に書かれ初演されたもの。内容は古い時代設定ながら視点はいかにも「近代」で、自然主義文学の線上・「歌舞伎の話は不合理」という批判以降のものである。逆に今日から見れば、いかにも明治大正な視点である。そういう意味で、「伝統的」な歌舞伎、大正の作品、野田の演出と、3段階の違う地層の融合ということで、私は効果的だったと感じた作品(いや、賛否両論らしいので、「私は」である)。
で、役者に話を戻すと。
たとえば歌舞伎座の回り舞台でも、その優れた仕掛けを、歌舞伎では使わないスタイルで有効活用する野田。役者についてもそうだ。歌舞伎らしい所作を基本にさせながら、ときにすっとずらす。歌舞伎の所作の流れで、歌舞伎ではしない動きをする。
その異質なものが流れの中に入ってきた瞬間、歌舞伎役者がいかに鍛え抜かれているのかがわかったのだ。
歌舞伎の動きがすぐれていても、それは当たり前としてみていた。一つの「型」一つの流れの中で、そうあるべきものをそうあるべきように演じている、と見えていたから。
しかし、一歩ずらした動きを難なくぴしりと演じるときに、すごい、と思った。
「型」というのはこういうことなのだ。

渡辺えり子が、歌舞伎役者を使って演出したときのことを語っていた。
最初の立ち稽古で、ふつうの役者ならそれまでに動きなどさらってやってくるのに、歌舞伎の人たちは、一人一人もだめなら全体もばらばら、がんがん怒りながら指導したものの、もう、どうしようもない、と思った。それが翌日。昨日言ったことが全員完璧にできているのだ。「ああ、これが歌舞伎役者なんだ、と思った」と。
「型」とはそういうことなのだ。


市川新之助海老蔵を襲名したとき、いろいろテレビに出ていた。んでいろんなユウメイジンが彼にいろいろ言うわけだが、「伝統に囚われず」とか「型だけじゃなく」とかを全員が混ぜるのだ。ビートたけしまでそうだったからちょっと失望した。当時テレビに出ていた勘三郎だけが、型の重要性を語っていたが、彼は言語表現について的確なタイプではないから、いまいちインパクトに欠けた(^^; でも、「型に囚われない歌舞伎役者」である勘三郎がそういうことをいうのは、それなりに受け止めたいものである。
型というのは……単純に言えば抽象であると思う。本質を蒸留することによって様式になったもの。
だから、型を身に着けるということは、選び抜かれ研ぎ澄まされた本質を内部に持つということだ。
だから、少しずれた「形」であっても変わらないはず。


さて、松たか子は、そういう意味での「型」を知っている役者だと思うわけだ。さらにもっと単純に、幼いころから日本舞踊など本格的にやっているわけで、これはもう違います、動きが。歌舞伎役者もそうなんだけどね、同じ器量ならば早くからやっているほうが鮮やかに決まっておる。
以前サーカスについての本をいくつか読んだことがあるのだが、そのなかで、戦後日本のサーカスが廃れた理由の一つが、児童の就学の徹底と労働制限であったという。もちろん子供を守るための法なのであるが、幼いころから練習量や経験値がまったく変わってしまったからだという。さもありなん。歌舞伎は、「家」という「伝統」によって、その「家」に生まれた子弟については幼少時からのプロフェッショナルな訓練を守ったわけである。
歌舞伎は男の子だけが継ぐものだが、女の子も舞踊はやるし、子供時代は歌舞伎の舞台にも立つ。歌舞伎役者の家の女の子は、そうやって育つ。
松たか子のような器量をもった女の子がその環境で育てば、あれだけ切れ味のいい女優になるということだ……と思う。


そしてちょっと思ったことがある。
先代中村勘三郎の妻、当代勘三郎の母のことである。
寺島久恵、結婚改姓後波野久恵は、かの六代目尾上菊五郎の娘である。六代目の娘であるから見る目もあり、芸に厳しく、先代勘三郎と結婚してからも、夫の舞台を身に出かけて、良くないと思うとさっさと帰ってしまったという。当代勘三郎に対しても、その厳しさをもっていたという。
「六代目の娘」であるからその厳しさを周囲がうけれれていた節がある。
歌舞伎役者の娘が歌舞伎役者と結婚するのはよくあった話だ。その中でも彼女のことが際立っているように思うのは、「六代目の娘」という特殊性においてだけであろうか?
もしかして彼女は、「六代目の血を継いだ」、演者としての才能を持った人だったのではあるまいか? ふとそう思った。 
現代にいたら、松のような際立った女優であったのかもしれない、とも思う。松が、あきらかに、「歌舞伎の家」の生んだ名優であると思うにつけて。当代中村勘三郎が、話に聞くしかない六代目の「孫」であると思うにつけ。


ま、ともかく、松たか子をまた観たいっす、舞台で。