観た!

観客。

神とモエ

komugiko00は人間椅子に関してはいわば離れファンである。周りにファンがほとんどいない。かつていたこともあったが、脱落(?)していった。ファンクラブとかファンサイトにもあまり寄り付かないタイプだし、このブログでリンクしていただいたのがひさびさのツナガリである、ぐらいである。
んで、管理サイトの方でも言っているように、そもそも「作品」だけあればよいタイプなので、情報も自分からは集めない。
そんなkomugiko00と、イカ天から今日まで媒体として出ているものは全て知っているのに決して好きと言わないshinbashiが、ときどき勝手な椅子談義(いちおう作品論風)や、椅子雑談(かぎりなく不正確)をすることがある。

その椅子雑談の一つ。

なんだっけなあ。とにかく、椅子は和嶋と鈴木の両方いてその相乗効果とバランスで成立しているものだ的な話になり、檀家の話になり……。


Shinbashi「和嶋ファン、鈴木ファン、っていうのもいるだろうけど、好きになり方がちょっとちがうだろう」
Komugiko00「ああ、そういうのはあるかもね」
S「和嶋は『神』でありえるな」


注。「神」というのは。
komugiko00の知り合いで、いくつかのバンドの「おっかけ」をしていた人がいた。ほんとにでまち入り待ち最前列……「おっかけ」といわれる行動の全てをしていた人であった(komugiko00は彼女に聞いて初めてそのさまざまな行動や心理を知ったのであるが(^^;)。もちろん、komugiko00のようなリスナーが7回生まれ変わっても持ち得ないような熱情と行動力をもってして、である。
彼女が一番好きなバンドは筋少であった。だが、筋少だけはおっかけなかった。なぜかと聞いたら、こう答えた。
オーケンは神だから」

ををを。shinbashiともどもなんだか感動した。
おっかけるのは、生身の人間なのだ。あわよくば声をかけてもらい、顔を覚えてもらい、さらに……という日常的妄想と時にある程度呼応する現実があってするものだそうだ。オーケンは神だから、もはやそんなレベルのことは考えもしない。なんかすげー。おっかけが神々しく見えたぜ。

それ以来、shinbashiとkomugiko00の間では、「神」とはミヒャでもディオでもなく、「その種の」ファンを持ちそうなタイプのアーティストをさすことになった。

んで、「和嶋は神でありえるな」なのである。


K「ああ、そうだね、神でありえる」
われわれにとって、じゃなくて一般論として。
S「鈴木は神じゃないだろう」
K「あれは半妖怪だよ」
S「半妖怪って、まさにネズミ男じゃないか(笑)。結局ネズミ男から抜けられないのか」
K「あれは期せずして彼の本質を体現していたと思うよ」
S「和嶋は神だけど、研ちゃんはやっぱり、モエ〜なんだよな」
 これも一般論として。
K「そうそう、研ちゃんモエ〜」
S「そうだよな……鈴木なんかにモエるのは間違っている気がするが(^^; でもそうなんだよな」


shinbashiは椅子の中で鈴木ヴォーカルがはっきり「嫌い」であるが、「研ちゃん」の話をするときはちょっと楽しそうにみえるのだ、どうしても。